当国雲岸寺(とうごくうんがんじ)のおくに仏頂和尚山居跡(ぶつちようをしやうさんきよのあと)あり。
竪横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いほ)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して、岩に書付侍(かきつけはべ)りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと、雲岩寺に杖を曳(ひけ)ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さわぎて、おぼえず、彼麓(かのふもと)に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く、苔したゞりて、卯月(うづき)の天(てん)、今猶寒し。十景尽(つく)る所、橋をわたって山門に入(いる)。
さて、かの跡はいづくのほどにやと後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上(せきじやう)の小菴(せうあん)、岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師(めうぜんじ)の死関(しくわん)、法雲(ほふうん)法師の石室(せきしつ)をみるがごとし。
木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち)
と、とりあへぬ一句を柱に残侍(のこしはべり)し。
竪横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いほ)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して、岩に書付侍(かきつけはべ)りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと、雲岩寺に杖を曳(ひけ)ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さわぎて、おぼえず、彼麓(かのふもと)に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く、苔したゞりて、卯月(うづき)の天(てん)、今猶寒し。十景尽(つく)る所、橋をわたって山門に入(いる)。
さて、かの跡はいづくのほどにやと後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上(せきじやう)の小菴(せうあん)、岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師(めうぜんじ)の死関(しくわん)、法雲(ほふうん)法師の石室(せきしつ)をみるがごとし。
木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち)
と、とりあへぬ一句を柱に残侍(のこしはべり)し。
〔句〕木啄も庵は破らず夏木立〔句の意味〕
仏頂和尚の旧庵に来てみると、鬱蒼とした夏木立に囲まれて、あたりは森閑と静まりかえっている。時には木啄の木をつつく音が聞こえてくるが、さすがに木啄もこの庵だけはつつき破らず、無事な姿をとどめ、昔をしのばせてくれることだ。
『隨行日記』には「五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉」とあり、前日余瀬の翠桃邸から黒羽前田の浄法寺邸に来て泊った。雲巌寺参詣の当日、朝のうちは曇っていたが、間もなく雲も散って快晴となったようである。前田から雲巌寺まで約十二キロ、北野上から唐松峠を越えて須佐木へ、そこを過ぎて雲岩寺集落に到る。その間殆ど山あいの曲折した道で、途中に僅かな集落のあるだけの閑散たる所だ。さいわい「人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて」と、道案内者、お供の人々大勢で賑やかにまるでハイキングか遠足のような気分であったろう。