(三) 宗教

543 ~ 544
 中世において領主那須氏は深く神仏を敬い、厚く神社・寺院を庇護したのであった。このことは近世になっても伝統として藩主大関氏に引き継がれて、大関氏は那須氏の崇敬した寺社の復興に努力し、また自らも神仏の崇敬ことのほか深く、寺社に対して手厚い保護も加え、また統制も行なった。
 黒羽藩の藩士の職制の中に、「寺社役勤め方」(『創垂可継』の諸職条約の項に)が明記されているので、次にこれを掲げよう。
  寺社役勤め方
一、寺社よりの諸願い向きの取り次ぎ。

一、寺社目見え(殿様に面謁)の節披露。

一、総て寺社の儀取り次ぎ、家老へ申し出づべき事。

一、これ迄大目付並びに郷奉行へ申し出で候願い筋、其の方どもにて取り扱い申すべき事。但し、代官より郷奉行へ申し出で候分も、代官より其の方どもえ申し出づべき旨申し渡すべく候。勿論郷村に相かゝり候義は、これ迄の通りの事。

一、寺社、在出で暇願い出で候節、在府中は其の方ども承り置き申すべき事。他国願い口上書は、家老へ差し出し申すべき事。

 但し、時の暇たりとも、在邑中は家老へ申し達し申すべき事。

一、大雄寺、帰一寺、光厳寺等は、寺柄に付き、物頭(ものがしら)次席の仕来(しきたり)其の外は、其の方ども以下の仕来りと相心得申すべき事。

 但し、役儀に付き、総て応対の節は、右三ケ寺ともに次席の心得の事。

一、寺社かゝり合いの用向きこれ有る節は会所に出席の事。

一、下の庄寺社の儀も、総て披露と相心得申すべき事。指しかゝりの儀は、これ迄通り、郷奉行承り届けの上、其の方どもへ通達これ有るべく候。願い達し共に重立ち候事は、上の庄(黒羽の方)へ呼び出し候て、申し達し候筋と相心得申すべき事。

一、御法事の節、かゝり合い申し付け候者壱人相詰め候事。

一、両社祭礼も、当日壱人ずつ相詰め候事。

一、宗旨証文宛(宗教信者取り調べ)、これ迄通り物頭申し付け候事。

一、什物改め(寺社の宝物)の儀、これ迄大目付罷り出で候も、其の方ども罷り出で申すべき事。

一、御家中仏事の節、寺院席の儀は、供養招請の儀故、客の心に取り扱い候事。

一、寺院境内興行事の節、支配所御番両奉行の内、出役郷廻、町廻も出で候得共、其の方ども下役壱両人も指し出し申すべき事。

一、万一の儀(異変の事)これ有り、武器、人数積もりの義、大凡(おゝよそ)懸け札(寺社役の詰め所の掲示札)の通り相心得取り調べ置き申すべき事。

 但し、武具方を兼ね候節は右の通りの事。