三 民間信仰

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 近世における民間信仰は、神道に属するもの、仏教に属するもの、また神仏習合によるもの、俗信を交えてのもの等、まことに多種多様であった。
  〔信仰の対象〕
 その対象は八百万(やおよろず)の神々で、多岐にわたるが、この地方における主なる例を挙げてみる。
 ・神々
 神体さまざま、祖先神、屋敷神、山の神、田の神、水神、天王さん、七福神、稲荷、厄病神、道祖神、干支(えと)その他
 ・諸仏
 釈迦、阿弥陀、薬師、大日如来、観世音、地蔵、虚空蔵、不動明王、四天王その他
  〔儀礼と祭〕
 多岐にわたり雑多である。一月一日に始まり十二月三十一日に終る年間の行事にしても、その数は多い。例えば、初詣、初午、節句、節分、七五三、年祝、正月、盂蘭盆会、彼岸会、施餓鬼会等があり、葬式、年忌、百度詣、千日詣、願かけ、庚申、地鎮祭、上棟祭(式)、開帳(出開帳)などもある。
 古代より農は神とともにあった。したがって農業に関する神・仏の儀礼や祭は多い。例えば、祈年祭、新嘗祭、風祭、雨乞い、虫送り、山入り、鍬入り等。農業は農家だけのものではない。農業は藩の財政を支える最も重要なものである。農事に関する民間の祭りに、藩主自らも参与している。その例を次に掲げよう。
 鎮国神社境内に次のような碑がある。



 鎮国神社の社頭において、風神(農作物に対する風害を防ぐ)、雷神(五風十雨の順調な天候を祈る)、龍神(旱魃を防ぐ雨乞い)を祀り、五穀豊穣を祈願したのである。因に「黒埴城(くろはにじょう)」とは、黒羽城(くろはねじょう)のことであり、「玄翼館(げんよくかん)」とは、「くろいつばさのやかた」の義で、黒羽城の別称である。
 そのほかに、祭には神前において綱引、相撲、神楽、田楽、獅子舞等が行なわれた。これらは清めの行事、神を楽しませる行事などに、庶民のレクリエーションの意味が加わってきた。
 また旅詣には、組織化された巡礼や、代参講もあった。
  〔組織〕
 民間における信仰の組織にも種類は多いが、組織された団体の代表的なものは「講」であろう。これについては項を改めて詳述する。
  〔堂・祠〕
 近世では都鄙のいたる所に、仏堂や小祠が存在していた。それだけに近世の庶民は信心深かったと言える。神社・寺院の境内外の仏堂・小祠あり、また単立の仏堂・小祠もあって、それには共同持ち(数人、数十人、村全体で)と個人持ちがあった。祈祷所としての性格を持ち、招福除災を祈願したのであるが、集会の場所、娯楽の場所としても使用された。祀られた神や仏の霊験により、様々な俗称もあって庶民に親しまれた。例えば、大塩(北野上)にある地蔵堂は「鼻取地蔵」、北滝の観音堂は「恋人観音」、向町明王寺所属の不動尊は「波切不動」、木佐美の地蔵堂は「椿堂(つばきどう)」と称されたように。
 これらの堂・祠は、その設立の年代や動機の不明なものも多い。しかしその土地の秘められた歴史や民俗を物語っているようである。