(四) 厚生

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 生活苦から当時農民の間に行われていた悪弊「間引き」をいましめる為、鈴木為蝶軒は人体獣面の図に間引きの人道にそむくことを次の如く解説した版画を配布し、間引きの悪弊を禁じた。
 此の辺の悪風俗にて出産の子をとり上げず、其の侭ひねり殺す事言語道断の大悪なり。人は万物の霊長として、天地神明の徳をそなへ、三千世界の内、人にましたる尊きものなし。軒に巣ふ燕雀も子を育ふに心を尽す事人々の見る所なり。然るに万物の霊長たる人間我子をわざと押殺し安然として悲む事なく愧る事もなきは、大悪風のしみこみたるにて心は悪獣なり、是を人面獣心といふ、その図ここに顕す。
  是聖人の書により仏説を考合せ見せしむるもの也。
 諸国を聞に生れ子を押かへす事此辺廻り四五十里の間のならはし、余国にては甚いやしめり。鬼の国なりとてにくみおそるゝといへり。是も亦愧づべし。我子を殺す慳貧邪見にて神仏を祈るとも感応あるべからず。家の繁昌今ある子の無事を思はゞ、悪を飜し悪類の面を改むべし。いはんや後世永々の苦患を思ひかへりみるべし。
 このように子をもうけることは家を栄えさせ、国を栄えさせる基であると説いている。
 又当時行われていた捨子についてはきつい処罰を課していた。
『創垂可継』刑獄裁断に
捨て子の儀に付き御仕置の事
一、金子を添え捨て子を貰いその子を捨て候者引廻しの上獄門

但し切殺し、しめ殺すに於ては引き廻しの上磔

一、捨子これある内証にて隣町へ捨て候儀お願いは当人所払い、家主過料、名主江戸払い

但し吟味の上、名主、五人組、家主等存ぜざる儀に紛無候わば構い無し

 このように子を大切にするようすゝめると共に御教令で子供三人目より生れた年から一年に米二俵づつ与えることを示達した。
 一般庶民に対する福祉対策については雲巌寺の申渡書により伺うことができる。
   申渡口上之覚
一、当秋不作ニ付老人之面々食物ニ困リ候由依之六十才以上少々之手当致下候間可配分庄屋可申渡事(コト) 尚又畑方御上納者来年之正月廿四日まて御赦免於仰出し候是又可申渡候以上

     天保四己年十一月十六日    役寮
                         大塚能鑑
                         岡寿栄
 庶民相互の間において不作に備える備穀状況は次の文書から他地区の状況も伺い知ることができる。
   慶応元年    須賀川上組
  困民助備穀書上扣帳
   丑六月     名主 菊池彦左エ門
    覚
一、籾六俵   彦左エ門
一、大麦四俵  同人
〆 拾俵
一、籾四俵   庄右エ門
一、大麦三俵
〆 七俵
一、籾壱俵   利平
一、大麦四俵  同人
一、金弐分   同人
〆 籾麦五俵
  金弐分
一、大麦三俵  平左エ門
  金弐刄   同人

一、籾壱俵   伝五郎
一、大麦四俵  同人
〆 五俵
一、籾四俵   清重郎
一、大麦壱俵  同人
一、稗壱俵   同人
〆 六俵
      以下略
 このように備蓄されたものが困窮の時どのようにされたか次の文書で知ることができる。
    天保五午年  須賀川上組
   囲穀貸附帳
    八月     名主 屋代市郎左エ門
一、米九升五合     金兵衛
一、米九升五合     嘉右エ門
一、米九升五合     久松
一、同         儀三郎
〆稗拾弐俵
   但三斗五入
   但壱年三割合とする
一、米九升       与助
一、米九升       辰十
一、米九升       善右エ門
一、米九升       源蔵
   但壱年三割合とする
一、米九升五合     重右エ門
一、同         与助
一、同         金兵衛
一、同         仁左エ門
一、同         安兵衛
          以下略
 上納金については、若し組内に納めることが困難な者があった場合、村金を貸して納めさせたことが次の証文によってわかる。
    証文
一、金弐両也
 右者当己御上納金ニ差滞リ村入用金之内借用申所実正ニ御座候但シ返済之儀は何時成共村方御入用之節壱割五分ノ利ヲ加元利急度(キツト)御返金可仕候右為実入ト石ノ下ニて上田壱反弐セ歩ノ場所申入申所相違無御座候万一返済相滞らハヾ右之場所請人引受元利急度御返済可仕候右御上納金ニ借用申上候上は少も相違申間敷く候為後日仍て一札如件
                      借主 忠之尉
                      受人 惣内
  天明五年己十二月
 
      組惣代 源右エ門殿
      〃   市郎左エ門殿
 又どうしても納められずお咎を受けた場合、名主、組の人達が立替て納入し援けたこともあった。次の代官所に願出た口上書がその事情を物語っている。
  乍恐奉願上候口上書
 私供組内勘四郎儀去節中御上納金四両弐分相滞不納仕候ニ付御咎メ被仰付罷有候得供何か様ニ茂(モ)金子出来兼申候勿論諸作仕付時節ニ茂(モ)相成候裳(モ)難渋仕候依天(テ)奉願上候ハ当金三両弐分組内之私供方覚仕御上納差上可申候間残金壱両ハ当節中迄御自延奉願上御咎御免除ニ成下置候段奉願上候右様被作付可下置候ハヾ私供急度相働御上納可仕候間何卒御慈悲を以右願之通被作付可下置候ハヾ重々難有仕合ニ奉存候以上
                  須賀川上組勘四郎組内
                      願人 藤蔵
                      同所 彦三郎
  文政六未年四月            名主 彦左エ門
  御代官様
 又庶民の相互扶助機関としては各所に念仏講中なるものがあり互に援け合っていた。その一例として北区念仏講中の規約をあげてみる。
 この念仏講中には「延宝甲寅天八月二十六日」つくられた八合桝が現存しており、しきたりとして年一回正月(もとは正月、七月の二回)の念仏には講中よりこの桝にて米を集めて中食をとったしきたりが今も続いている。桝と膳腕箱の材料が同質であるところから同時に作られたように思われる。

八合桝

 唯旧帳簿は破棄されて見当らないが、旧規約を時代に合わせて書替えたものは次のようである。
 黒羽町大字北野上北区念仏講社金貯積管理規約
第一条  念仏講社ノ基礎ヲ確立センカ為メ此規約ヲ設定ス

第二条  基本金ハ前年度歳計剰余金並ニ基本金ノ権利ニ関スル雑収入を以テ之ニ充テ又惣会ノ決議ニ依リ各自積立を為ス事ヲ得

第三条  基本金ヨリ生ズル利子ハ全部基本金袋入シ他ニ消費スル事ヲ得ズ

第四条  講社多額ノ費用ヲ要シ各自ノ負担ニ堪ヘサル場合ハ総会ノ議決ヲ経テ其一部又ハ全部ノ支出ヲナス事ヲ得

第五条  基本金ノ運用ハ左ノ範囲ニ於イテ取扱若シ取扱人本条ノ規定ニ依ラズシテ生ズル損害ハ其負担トス

但シ評議員会ニ於イテ協議ノ上為シタル場合ハ此限リニ有ラズ

一貸金法 貸金ハ年一割以上トシ総テ正当証書トシ登記申請セザルモノニ対シテハ其担保田畑ハ地価金二倍ヲ越ユルコトヲ得ズ山林原野ハ反拾円ヲ上ル事ヲ得ズ、期限ハ四ヶ年以内トシ保証人ハ会計ノ指命ニヨリ二名以上トス

但シ従来ヨリノ貸金ニ限リ年一割トス

二預金法 遊金有ル時ハ黒羽商業銀行ニ預ケ入ル事

第六条  基本金管理ニ要スル費用ハ基本金ヨリ支出スル者トス

第七条  取扱人講社金貸付名義ニ依リ生ズル所得税並ニ加税及ヒ相続税ニ関シテハ其割合を基金ヨリ支払フ者トス

第八条  基本金収入ノ決算ハ毎年旧正月拾六日総会ニ於イテ是ヲ行フ

第九条  基本金ハ各自ノ分配他人ヘノ譲渡転売又ハ質入書入等ヲ為ス事ヲ得ズ

第十条  権利ノ標準ハ一戸一権利ヲ越ユルコトヲ得ズ

第十一条 講社金ニ加入スル者ハ黒羽町大字北野上北区引橋高戸屋ニ渡リ愛吉ノ在籍者ニ限ル

第十二条 権利者死亡シタル時ハ相続人ヘ当然其権利義務ヲ継承ス

第十三条 権利者事情ニ依リ他ノ区域ニ転籍シタル場合ハ前年度ノ決算期ニ依リ一人前一割五分ヲ減シ割戻ス者トス

第十四条 講社区域内に転籍又ハ分家ニ依リ永住ノ見込ヲ以テ一戸ノ付合ヲ為ス者ニ限リ加入セントスル時ハ其年度期ノ決算ニ依リ一人前ヲ出金セシム

第十五条 基本金取扱ニ付左ノ役員ヲ置キ各々任期ヲ二ヶ年トシ総会ニ於イテ選挙シ欠員ガ生ジタル時ハ総会ノ際補欠選挙ヲ行ヒ前任者ノ任期ヲ継承セシム但初年ニ於イテハ半数抽籤ヲ以テ改選シ以後ハ満二ヶ年トス

一、会計二名監事二名評議員四名

一、役員ハ当分ノ内無報酬トス、但シ評議員会会催ノ場合ハ出席者ニ限リ弁当料弐拾銭ヲ給ス

但シ登記申請其他講社外ニ出張ノ場合ハ一日金五拾銭一泊シタル時ハ金八拾銭ヲ支払フ者トス

第十六条 会計ハ基金ヲ預リ第五条ノ規定ニ依リ是レガ運用ヲ敏活ナラシメ基金ノ増殖ヲ計ル事

第十七条 監事ハ理事ノ基金運用ニ注目シ旧正月拾六日決算ノ時ニ帳簿ノ検閲ヲナシ其不当ノ所置アリト認ムル時ハ直ニ評議員会ニ報告ス此場合ニ於イテ会計ハ帳簿ノ検閲ヲ拒ム事ヲ得ズ

第十八条 評議員ハ総テ他ノ役員又ハ権利者ノ申出ニ依リ協議ヲ逐ゲ是ヲ所理シ又何時タリトモ意見ヲ発議シ総会ノ必要アリト認ムル時ハ召集スル務ヲ有ス

第十九条 当講社ニ備付置諸帳簿左ノ如シ

一、規約綴 但シ権利者署名捺印シ置ク事

一、権利者名簿   一、貸金台帳

一、預金通帳    一、決算台帳

一、現金出納簿   一、各口座勘定帳

第二十条 本規約ハ大正五年旧正月拾六日ヨリ実行シ規約ノ変更ハ総会ノ決議ニ依ルモノトス

 
  明治三十七年旧正月
  資金貸付台帳      念仏講社
    資金貸付規約
一、当分年利壱割ニテ貸付クル事
一、金拾五円以下ハ記帳署名保証人一名ヲ付スルコト
一、金弐拾五円以下ハ保証人二名以上ヲ要シ旦ツ相当ノ抵当アル証書ニ拠ル事

  但本項ノ抵当ハ地所ニシテ金額ニ相当スル地価タル事
大正二年(一九一三)旧正月十六日
 貸付規約第二項金拾五円以下ヲ二十円ト改正ス
 貸付規約第二項ノ金額ヲ五拾円マテト改正ス
  (大正四年旧正月十六日)
  毎年貸付金総額
一金弐百参拾九円弐銭五厘
   但明治三十七年正月十六日貸付金
一金弐拾五円        ○○○○○
  明治四十三年旧正月十六日貸付但証書入
一金拾五円   正ニ借用利子年壱割
  明治三十七年正月十六日
          借用人 ○○○○□
          保証人 △△△△□
       以下略
 又家屋修理について容易でなかった屋根葺替に当り講中で茅を出し合って援助する茅貰制度をとった。
  明治二十一年
 茅貰控帳
  七月十六日        引橋坪
               高戸屋坪
               愛吉坪
     記
一、茅貰之節者昼飯差出候事
一、茅壱駄縄百広左記貰当日ニ持参致候事
              ○○○○
          引はし
              △△△△
 明治二十一年
      貰
          愛吉
一、明治二十二年七月十六日  ○○○○
一、同            △△ △
          高戸屋坪
一、明治二十三年七月十六日  □□□□
         以下略
 このように近世における厚生はその時代なりにあらゆる面に手がさしのべられていた。
 特に「間引き」の悪風をいましめた事や、当時庶民の一番苦しかった上納金を完納する手だてとして打たれた点は五人組の組織を生かした相互扶助である。
 重税に苦しむ一方庶民同志の結束がつよく、あらゆる点で援け合い生き抜いた様子を伺うことが出来る。