(1)温泉神社(大宮)の獅子舞

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『温泉神社』(大宮)は、那須氏―大関氏が尊崇した社であるが、『獅子舞』は例祭の神賑(しんしん)行事として執行される。

温泉神社の獅子舞

 この神楽は、『太々神楽』などとともに、黒羽城構築の地鎮がその発祥であると。また温泉の宮居が大輪の湯泉平から檀山に移されたころからとも伝えられている。何れにしてもこの神楽は初春を寿ぎ天下泰平・五穀豊穣・無病息災を祈念して演ぜられたことに変りはない。
 獅子舞は、羯鼓(かっこ)と呼ばれる小太鼓を腹につけて囃方(はやしかた)五人の笛とササラの音にあわせて打ちならしながら舞う一人立三匹獅子舞である。
 獅子頭は雌獅子一、雄獅子二から構成され恋物語の形で舞われるのだという。
 囃方はそれ/゛\牡丹(ぼたん)の花をあしらった花かご(花笠=ヤマ)を頭上に載せ、四方にからくさ模様の布を下げ、顔を覆う。
 獅子頭は、金丸八幡宮=那須神社(大田原市)の獅子舞と共用している。
『頭』の出来栄えは見事でその『舞』は古典的でさらに素晴らしいものがある。
 リズミカルな囃につれて舞う姿は動と静の組みあわせであり、土のかおりのする素朴な舞で、いにしえの人々の思念(しねん)を今も伝え続ける。舞う者も観る者も一つに溶けあうハレの熱気が檀山の森にこもり、感動を一層よび起す。そこには沈潜した世界があり、虚構も蕪雑(ぶざつ)さもなく、暖かい人肌の温(ぬく)もりが立ち篭り、心の波動は一刻の静謐(せいひつ)さえ感ずる。
 現代化という大きな動きの中に、その底流に豊饒と家内安全を乞う共同的意識があり、清く直き心が満ち溢れているからであろう。生活全体の精神的支柱に古い祖先の血流が脈うち、無言の呼びかけをなし、厳しい自然の中で神仏とともに生きてきた信仰が奥深くみられるからであろう。
 獅子頭の共用という事実は何を物語っているのであろうか。
 黒羽藩では『温泉神社』・『鎮国社』・『金丸八幡宮』を三社と称し、格別尊崇していたのである。
 黒羽藩では『獅子舞』を重視していたと見え、『創垂可継』(封域郷村誌)「村々除き地」の項に次の記事(関連箇所の抽出)がある。
  「  大久保村
   一、高拾弐石               獅子舞御免高
     寺宿村
   一、高拾弐石 時々立獅子舞有之節斗    獅子舞御免高
     木佐美村
   一、七石   時々立笛吹有之節斗   獅子舞添笛御免高」

 これをみると大久保・寺宿・木佐美の村でも常時または時々おこなわれていたことがわかる。
 現在『温泉神社(大宮)獅子舞』は、久野又保存会(代表池沢正喜)によりその伝統が継承されている。
 黒羽は草深く清冽な小川が流れている美しい『黒埴(くろはに)の里』である。稲作に生きてきた人々の『豊饒の里』である。豊かで深みのある、文化が今も生きている町だけに、風土的自然が触発して風趣に溶けこんでいる民俗的芸能が息づきをみせている。
 自然の中に人々の哀歓を秘めて息づいているこれらの民俗芸能は魂の安らぎの宿であり、生活に潤いを与えてきたが、ふるさとの風貌は時流とともに都市化と対照的に喪失しつゝあるが、芸能も一般にその姿を変えようとし、その仕様も簡素化し、情感も薄らいだが、その心は未来に向って開花することを願うものである。