一 わが国の選挙制度

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 わが国において、近代的選挙制度のあゆみが始まったのは、明治時代からであった。
 明治維新により、それまでの封建体制から近代国家への歩みを開始したわが国においては、中央政府や官僚機構は早急に整備されていった。しかし明治の初期においては、国家の骨格を定める憲法がなく、憲法に基づいて、議会が政府と共に政治を行う「立憲政治」の必要性が早くからとなえられていた。やがて、自由民権論が盛んにとなえられ、立憲政治を求める世論の高まりとともに、政府においても、西欧の先進諸国におとらない、近代国家に移行するには、立憲政体を整備する必要があることを認め、明治十四年十月国会開設の勅諭が発せられた。
 この勅諭により明治二十二年二月に大日本帝国憲法が制定され、貴族院と衆議員から成る国会が創設されることになった。これにともない、衆議院議員選挙法が制定され、近代的選挙制度のあゆみが始まったのである。
 これに先だち、政府は、立憲政治へ移行するための準備、すなわち地方制度の改善と議会政治の経験を得るため、明治十一年三月府県会規則を制定し、公選による議員から成る府県会を創立した。
 この府県会規則は、わが国における近代的選挙制度を定める最初の法規であった。この規則は、後に予想される国会議員の選挙法を作る手本にする意味もあって、かなり細かく規定されていた。選挙権については、満二十歳以上の男子で、その郡区内に本籍を定め、その府県内において地租五円以上を納める者に限ることとし、いわゆる「制限選挙制」としていた。被選挙権については、満二十五歳以上の男子で、その府県内に本籍を定め、満三年以上居住し、その府県内において地租十円以上納める者に限るものとなっていた。
 その後制定された衆議院議員選挙法においても、府県会規則と同じく選挙権について納税額など一定の資格を付した制限選挙制度を採用した。これ以後のわが国の選挙制度のあゆみは、「制限選挙制度」から「普通選挙制度」への、選挙権の拡張の歴史であったということができる。
 選挙制度のあゆみを大きく時代区分すると、制限選挙の時代(明治二十二年~大正十四年)、男子普通選挙の時代(大正十四年~昭和二十年)、完全普通選挙の時代(昭和二十年~現在)に分けることができる