普選法の成立といわれる大正十四年(一九二五)の改正においては、普通選挙制度の採用の他に、中選挙区制、選挙運動の規制など、現在の選挙制度の基礎になる抜本的な改正が行われた。
議員定数は四百六十六名とし、各府県について人口十二万人に議員一人の割で配分された。選挙区は、一選挙区三人~五人のいわゆる「中選挙区制」を採用し、全国で百二十二の選挙区となった。この中選挙区は、外国に例を見ないわが国独特のものであった。
選挙権については、直接国税三円以上納める者という納税要件を廃止し、満二十五歳以上の男子について、一定の欠格事由に該当する者を除いて、誰でも選挙権を有するという普通選挙制度が初めて確立された。
選挙人名簿は、九月十五日現在で、同一の市町村内に引き続き一年以上住居を有する者の選挙資格を調査するものとした。
選挙運動に関しては、法律によって規制を加えるとともに、初めて公営(国や地方公共団体の運営する選挙運動)による選挙制度を採用した。また、選挙運動のために使用する文書、図画については、大正十五年(一九二六)に別に規制が加えられることになった。
この普選法により最初に行われた総選挙は、昭和三年(一九二八)二月の第十六回総選挙であったが、このときの有権者数は千二百四十万人と、総人口の約二〇パーセントまで増加した。