本改革の主な内容は次のとおりである。
一、不在地主の所有するすべての小作地、在村地主の所有する小作地で内地平均一町歩(栃木県一・三町歩、旧黒羽町一町歩、川西町、一町五反歩、須賀川村、七反歩、両郷村、一町四反歩)北海道では四町歩をこえる分、及び自作地と所有地合計が内地で平均(栃木県三十九町歩(旧黒羽町、四町歩、川西町四十五町歩、須賀川村、三十七町歩)両郷村四十四町歩)北海道では十二歩をこえる分の小作地は市町村農地委員会の計画に従って政府が直接買収し、これを原則として、現在の小作農に売り渡して、建全な自作農を創設する。
二、第一次農地改革発表以後に行われた地主の不当な土地取り上げ及び売り逃げ等はこれを認めず、農地の買収計画の樹立は原則として昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基づいて行う。
三、農地ばかりでなく、宅地、建物、農業施設、採草地及び牧野も解放の対象となる。
以上のような内容のもとに、黒羽町の旧四か町村においても強力に、無血革命といわれた農地改革が進められ、昭和二十一年(一九四六)十二月農地委員の選挙が行われた。地主代表三、自作農代表二、小作農代表五、計一〇名の委員の構成で、昭和二十二年(一九四七)三月には、各町村共事務局が整備され、こゝに農地委員会の画期的な大事業が開始された。農地の買収、売渡状況の実績は次のとおりである。旧町村の買収総面積は、八九〇町四反五畝八歩で昭和三十一年(一九五六)一月一日合併後の、農地総面積が、一、七六四町八畝歩でその比率は五六・八%である。いかに小作地が多かったかがわかる。このような徹底した農地改革であったため、小粉争が堪えず発生し、農地委員会はこの調停に多忙を極め恰も裁判所の観を呈した。然し比較的平穏裡にすゝみ、独立自営の自作農となり、安んじて農業経営に精進する道が開かれ、農業生産力の増大と農業者生活の安定が約束されたのである。農地の買収、売渡という画期的な大事業は、大体昭和二十四年(一九四九)頃には完了し、旧四ケ町村は、県下でも発記事務は最も早く完了し、そのため黒羽登記所は当時の法務総裁大橋武夫より、表彰の栄誉を得た。
しかし農地改革の輝かしい反面、余りにも急激な変革であったため、被農地買収者(地主)層に与えた影響は、頗る大きく生活、経済状況と心理的に対する動揺は勿論であった。農地改革に農地被買収者の貢献と協力を多とし、政府は世論の動向を勘案して、これらの人々に対する報償として「農地被買収者に対する給付金の支給に関する法律」が公布され、昭和四十年(一九六五)この法律により、黒羽町で約一億五千万円が給付された。これによって農地改革のすべての施策は終了をみたのである。