8 農業基盤の整備

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 昭和三十六年(一九六一)に農業基本基本法が制定されたが、この法律のねらいとしては、わが国農業の経営規模の拡大と近代化を進めるとともに、米麦中心の農業生産から畜産、酪農、果樹など成長作物を選択的に拡大し、農業生産性の向上及び農業者の所得を増大して、他産業従事者との所得均衡を図ることにあった。農業構造改善事業は、この法律の根幹をなすものであり、国の強力な指導助成のもとに昭和三十六年~同四十四年(一九六一~六九)にかけて、第一次農業構造改善事業が実施され、県下では、三十八市町村が実施した。続いて昭和四十四年(一九六九)~昭和五十二年(一九七七)まで第二次構造改善事業が実施され、二十三市町村が事業を実施している。この事業により、土地基盤の整備、大型機械化の一貫体系のもとに生産組織育成強化が図られ、農業の近代化と農業生産の、選択的拡大に役立った。(栃木県百科辞典参考)
 本町は昭和四十三年(一九六八)に両郷中央土地改良区が最初に指定をうけ事業に着手した。続いて翌同四十四年(一九六九)北滝土地改良区が、指定され事業に着手した。
 第二次構造改善事業両郷河原改良区が指定をうけ、昭和四十九年(一九七四)改良区設立と共に事業に着手した。昭和五十年(一九七五)には特別推進事業として木佐美地区が、編入され圃場整備事業、農業近代化事業が実施された。

農業構造改善による本町最初のほ場整備箇所(中野内地内)

 なお両郷、河原土地改良区では、関連事業として松葉川の砂防工事(事業費五二一、九一三千円)、県道那須黒羽茂木線改修事業(事業費一四三、五八〇千円)が同時に県の事業として、実施され正に両郷、河原地域の、総合開発がなされ豊郷治水の実が期せられたのである。
 特筆すべき事業としては、土地改良法に基づき土地改良事業を伴はない、農地の交換分合を実施したことである。これは昭和二十九年(一九五四)旧川西町農業委員会長磯政光氏(町長が兼務していた)外二十一名が、事業実施の推進員となって二地区の交換分合を完遂した。
 一地区は蜂巣、余瀬(何れも一部)の二十三町歩で受益者約百二十余名であった。
 もう一地区は、寒井本郷で受益者約百名余、受益面積は約百町歩であった。この事業は登記事務まで伴う農業委員会の事業として、県より強く推進されたが、農業者の納得を得ることが非常に困難を極め、那須北でこの事業にとりくんだ町村は、数ケ町村に過ぎなかった。川西町農業委員会もその一町で、農業委員(推進員)とその事務局が一体となって、日夜を分たずその説得に当った誠意が遂に、この事業の成功を齎した功績は大きく、やがて農業構造改善事業、圃場整備事業への道を切り拓いていった礎となったものである。本町の第一次農業構造改善事業の指定と事業実施は、圃場整備事業にその意欲を各地区に高めていった。
 鉢木土地改良区は、昭和四十一年(一九六六)~昭和四十三年(一九六八)にわたり畑地の、水田化二十七・八ヘクタールを硫黄岩付近の那珂川より取水し実施した。総事業費四九・五十万円であった。地元民の永い間の念願であり一山越して松葉川の底を通して、送水する思い切った構想は正に驚嘆に値するものであった。

那珂川よりの取水箇所(鉢木用水)

 片田、北滝土地改良区は、一郷に開けた平坦な水田地帯で理想的な圃場整備事業が実施された。一地区の面積としては今の処本町では一番広く、正に甦る豊郷が実現した。

郷に開けた水田地帯のほ場整備

 「川西地区農村基盤総合整備パイロット」事業は、昭和四十七年に指定をうけた。この計画は、一般土地改良事業のほか、農村集落整備、集落道路、排水路、飲雑用水施設整備、農業近代化施設用地、農村公園、工場用地施設、墓地、公園、集落移転等総花的な事業であり、当時の農林省の画期的なしかも意欲的な事業で、全国に当初三ケ所の地区を指定してこの事業の推進を図った。
 この事業は全く農村の理想像を掲げたもので集落移転、基地の整備等には、なか/\抵抗があり当時の古泉町長、続いて後藤町長が先頭に立って、担当課職員、各課長総動員で川西地区一円に亘り、夜昼となく各所にその趣旨の徹底を図るため、座談会を開くこと延べにして百回以上に及んだが、根強い努力にも拘らず全地区の同意は得られなかった。結局事業もほ場整備事業用水施設、農道等の事業に、縮少されてゆき、大字寒井、大字桧木沢、大字黒羽向町(奥沢、上町、下町)が事業に参加することになった。昭和四十九年(一九七四)八月に川西土地改良区が結成された。理事長に後藤伊位(よしのり)氏が選任され、組合員は、二百三十七名で第一工区寒井の下河原地区、第二工区が寒井の本郷地区、第三工区檜木沢地区、第四工区黒羽向町の奥沢、上町、下町であった。その後堀之内、北野上(北区)が昭和五十三年(一九七八)新に参加し五工区となった。工事は昭和四十七年度~昭和五十五年度迄で、一応完了をみた。

総合パイロット事業によるほ場整備箇所(桧木沢地内)