明治四年(一八七一)七月十四日廃藩置県が実施され旧藩主は全員東京に引揚げ、同年十一月黒羽藩は宇都宮県に編入され、以後山林は勿論政治経済其他全般にわたり他国出身の県令の支配するとことなった。
明治維新は、改革新法を急速に進めたが全体的に教育の普及していない農山村の人々の中には新法が理解できないために裏山まで官林に編入されてしまった地域もできた。
林業流通面に於ては、新政府の庁舎施設の建築復興資材等の需要増大に伴って価格もまた騰貴した。
明治九年(一八七六)七月―十年六月迄の一箇年間に本県より東京に出荷された木材の金高は、
杉 九四、五七七円七〇銭
桧 二〇、四四五円
松 二九、九六一円九〇銭
欅 一三、六八四円一〇
銭 樅梅栗 雑木 八、二七八円七〇銭
桧 二〇、四四五円
松 二九、九六一円九〇銭
欅 一三、六八四円一〇
銭 樅梅栗 雑木 八、二七八円七〇銭
合計 一六六九四七円四〇銭
右金高は、杉は全国で第三位、桧も第三位、松は第二位であった。
当時東京深川材木市場の木材価格の相場は
杉 尺角 二間もの 一円五三銭 松 尺角 二間もの 一円三三銭 杉 五寸角二間もの 三二銭 杉 四寸角二間もの 一五銭 松 六分枚 三銭六厘 杉 四分枚 二銭九厘 屋根板 束 一七銭
明治七―八年(一八七四~七五)頃の物価は、米一升五銭七厘、役人月給平官吏二―三円といわれる。
明治の初期、黒羽地方産材の東京市場における木材標準価格は左の通り
品目 | 規格 | 単位 | 明治元年 | 明治三年 | 明治五年 | 明治六年 | 明治七年 |
水戸杉四分板 | 巾尺長六尺 | 円替 | 四二板 | 四五板 | 三七板 | 三六板 | 三四板 |
右表の「水戸四分板」は、那珂川上流の川筋即ち、本県那須郡黒羽方面を産地とするもので、那珂川を下って、水戸で荷揚げされたことから「水戸四分」と称されていたのである。
この頃の四分板は丸身付きで大体三分五厘位の厚さであった。水戸四分板のなかには「原方」と称し、本県那須野が原と塩谷郡高原山方面から産出するものも混っていた。「-」
明治の初期、民間に於て木材価格の高騰で喜んでいる時に、新政府は新法の発布によって着々と基礎を固めていた。
明治五年(一八七二)九月 地券交付(租税額がわかる)
同 七年十一月土地官民有区分実施
同 十一年四月全国に大・中・小林区制設置
同 十二年五月内務省内に山林局新設
同 十三年六月大・中・小林区制度廃止
同 十九年九月大小林区署制公布
同 三十年四月森林法公布
同 四〇年(一九〇七)四月森林法改正