(3)戦時体制と民衆動員

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昭和初期、日本国中社会的に恐慌下にあるとき、軍部のみが、満蒙生命線の確保、大東亜共栄圏、五族協和名の下に、独走していった。
 当時の国内外の状況の概略を示すと、
昭和二年(一九二七)五月  第一次山東出兵
同 三年四月  第二次山東出兵。済南事件おきる。
同 三年五月  第三次山東出兵
同 三年六月  張作霖を爆死さす
同 五年    浜口雄幸狙撃される
同 六年三月  小磯国昭等陸軍クーデター未遂
同 六年九月  満州事変勃発
同 六年十月  橋本欣五郎等陸軍クーデター未遂
同 七年一月  上海事変勃発
同 七年二月  血盟団事件おきる
同 七年五月  五、一五事件おきる
        犬養首相暗殺される
同十一年二月  二、二六事件おきる
        高橋是清等暗殺される
同十二年七月  日華事変勃発
 昭和十二年(一九三七)七月七日の夜、北平郊外の蘆溝橋で日中両軍の小衡突事件は、中国全土に戦火が拡大し、史上に例の見ない總力戦へと発展していった。政府は、戦争に勝つために、
昭和十二年九月 国民精神総動員法公布
同 十三年四月 国家総動員法公布
同 十四年三月 森林法改正
同 十四年七月 国民徴用令公布
同 十五年十一月 大政翼賛会発足
 次々と総力戦のための法令を公布した。