我が国では、古来より特殊技術は秘法として家伝、或は門外不出を美徳としてきた。先進林業地の中でも、京都の北山、或は吉野地方は特殊技術が田地的形態となって発展してきたが、このような例は稀である。昭和二十五年(一九五〇)四月、全国に林業改良指導員が配置されて、民有林経営に一大変換をもたらした。育苗・造林・山林の管理・保護・機械の利用等、これまでは単に植える林業であったのが、一変して栽培する林業、良材を有利に、多量に生産する林業へと変化した。
しかし、青少年の不断の研究と篤林家の人々の技術開放も、林業の発展に大きく寄与していることはいうまでもない。以後、年と共に特殊林産事業が延び、山村振興事業、構造改善事業、森林総合整備事業等、農山村の所得向上策が実施されるが、実施の裏にはこれら指導員の人々の援助指導が常に存在している。