(9)山火事

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昭和五十二年(一九七七)三月十五日、気温十七度C(大田原市内の観測推定)湿度十二%(宇都宮市内観測)風速西北西九m(最大風速十三、三m)異状乾燥注意報発令中の十四時三十分、本町八塩地内に点火した一本のマッチの火は、強風と乾燥のために瞬時にして拡大し、峯を越え、谷を渡り、県道を越えて、地域の人々、多数の消防車、消防団員の必死の消火作業も効果なく、火の粉は飛散して火勢を増し、十六時二十分頃には馬頭町小砂地内に達し、十九時三十分頃には大山田上郷に、二十時頃には大山田下郷へと延焼していった。
 空中消火、自衛隊の消火力も加はり、黒羽地内は十六日十一時頃、馬頭町も十六時頃鎮火した。
 山に生き、山でくらす人々にとって災難とは申せ余りにも無慈悲の火災であった。
 被災面積
 黒羽町 六三七ha(民有林)
 馬頭町 五四一ha(民有林)三四〇ha(国有林)
両町合せて一、五一八ha
 被害額
 黒羽町  七億九千七百万円  (民有林)
 馬頭町 十三億六千百万円   (民有林)
     十三億壱千四百万円  (国有林)
 合計  三十四億七千二百万円の巨額に達した。外に住家九棟を含む三十棟の家屋も焼失した。
 罹災地の復旧は、単に罹災者の援助のみでなく、治水上或は病虫害発生予防上緊急を要する問題なので、国・県・町共にあらゆる手段を用いて復興の手をさしのべ、罹災者の方々も災難より奮起して治山に、緑化に努められていることは、町内に住む者として感激と敬服の至りである。
 外材の資源不足、輸送用燃料の不足と高騰、遠からず内地材の価値のでる日も来ることを祈念して本文を終る。