三 鉱業

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 本町の鉱業としてはみるべきものはない。然し明治の初期、大正の初期、昭和二十年終戦前後に「まんがん」を主体として採掘された。埋蔵量も少なく五年以内で、廃坑になった例が多い。但し、大字片田の亀山石(凝灰岩)は最初明治の末期か、大正の初期に宇都宮方面の坂本某氏が採掘を始め、やはり町外の岸、森氏が、続いて採掘を始め、地元片田の山口丑男氏等が始め、昭和三十年(一九五五)から同年三十七年(一九六二)がピークで、この当時は、一般家庭において台所改善が盛んに行なわれたゝめの影響が大きかった。昭和三十六年(一九六一)の黒羽町役場で発行した観光案内図に、亀山石採掘場の案内文に次のように記されている。
 「黒羽町片田字亀山地方より、産出する亀山石は凝灰岩で産出量年間一千トンに達し、耐火力が頗る大で用途は極めて広く、日常生活に連結する七輪、カマドを始め石塀、土台石、石造、倉庫、肥料舎等の、材石として古くから使用されている。」
 昭和二十七年(一九五二)の黒羽町勢要覧には、生産量が二千九百三十七トン、従業者数、四十一名となっている。然しこの数字は同年以前のものであることはいうまでもない。
 その後急速に生産量が伸びていることがわかる。前述のピーク後は次第に需要が少なく、殆どが休鉱の状況になり、一時名声を博した亀山石も、現在では需要があれば、供給に応ずるという程度になっている。

山砂利採石場


山砂利採石場

番号鉱山名鉱石名経営者経営概要
1磯上鉱山金銅水晶両郷小林米蔵氏外明治一〇年(一八七七)より四、五年で廃坑、金は含有量少く何れも採掘量は少かった。
2磯上本沢鉱山まんがん横浜市不詳昭和一六年(一九四一)より四、五年で廃坑
3磯上不動沢鉱山まんがん昭和一四年(一九三九)より四、五年で廃坑
4鍛治内鉱山雲母河原関谷兼松氏の紹介で不明明治初年(一八六八)から二、三年で廃坑ガラスの原料
5木佐美富士山鉱山まんがん東京都目黒区柿木坂二三七番地八溝鉱業株式会社滝造寺三枝氏昭和一七年(一九四二)より三年位で廃坑
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8〃  以上何れも二酸化性「サクラマンガン」の優良品
9高舘鉱山まんがん川田大森豊蔵氏の仲介で東京の人、不明明治の初め(一八七七)金の採掘を目的として試掘したが含有量少いため止める。昭和一三年(一九三八)より二、三年まんがんを採掘した。
10松葉鉱山まんがん熱海市広重達也昭和一六年(一九四一)~昭和二五年(一九五〇)で廃坑となる
11引橋鉱山(中の沢)まんがん東京都、守安、広重、長岡等種々変る大正八年(一九一九)採鉱三年半で廃坑、中絶していたがその後昭和十二年(一九三二)より一、二年位再開発相量産された。
12引橋折骨鉱山まんがん黒羽町佐藤某その後転々と変る大正八年(一九一九)より二ケ年位で廃坑、中絶していた、昭和十二年より二ケ年採掘生産量は多かった。昭和二十七、二十八年(一九五二―五三)再掘された。
13引橋南沢鉱山まんがん黒羽町前田、吉沢某昭和十四年(一九三九)より一ケ年
14北野上愛吉鉱山まんがん東京都、不詳昭和二年(一九二七)より一ケ年位
15野上鉱山不詳年代は不詳現在でも金山と称し相当古く採掘された。
16八塩鉱山まんがん不詳大正中期(一九一九)に採掘されたらしいが不詳
17立沢鉱山不詳年代は不詳現在でも金山と称され相当古く採掘された。
18亀山石材石材何人もの業者が入り地元では片田山口丑男氏外数名明治末期か大正の初めに採掘されはじめ昭和三十年(一九五五)~昭和三十七年(一九六二)が最盛期であった。
19平渡土製練所金鉱の製練不詳大正三年(一九一四)~六年(一九一七)頃
20仏沢金山安間隆平氏大正三年(一九一四)~六年(一九一七)頃
21大道金山不詳
22不詳通称佐竹金山、慶長年間(一五九六)
23米梨鉄山磁鉄鉱大河内安次氏大正六年(一九一七)~八年(一九一九)頃
24鹿島鉱山まんがん初期不明、中期丹野某、後期屋代徳太郎氏昭和二十九年(一九五四)福島県二本松市丹野某よりうけ須賀川屋代徳太郎氏経営、昭和四十年廃坑
25奥の松鉱山まんがん大日本鋼業昭和一十年(一九三五)~十二年(一九三七)頃
26倉岡鉱山硅石不詳不詳
27桧沢鉱山まんがん不詳不詳
28桧沢鉱山2不詳不詳
29桧沢鉱山3不詳不詳
30阿寺鉱山南方、藤田昊氏戦前~昭和三十五年(一九六〇)頃
31東京石材山砂利東京都、社長川島鯛造東京都石材株式会社、大字亀久二九一五、昭和四十七年四月開始年産約一五万立米、原石~花崗岩の風土化したもの
32八溝興業川田、社長吉成昭造八溝興業株式会社大字川田五五八、昭和四十八年三月十四日開始、年産二五万t~三〇万t、原石片麻岩(砕石)

 現在は、大字亀久の東京石材の山砂と大字川田の、八溝興業の山砂利採掘があるのみである。

黒羽町鉱山位置図