かなめ焼は黒羽の陶土が選ばれ、大塩の長峰の土が用いられた。また愛知県多治見と大阪方面の陶土も使われた。大正三年(一九一四)黒羽陶器製造所の日計簿に「四月一日一金五円也土堀賃大塩田代清へ渡ス」「十五日金三円五拾銭陶土運チン小藤富之助」「二十日一金拾円也土堀賃笹沼外一人」「七月十五日一金廿一円廿銭多治見ヨリ西那須迄ノ粘土運賃一金五円六十銭西ナスヨリ当所之ノ粘土運チン」「五月十八日一金六円七拾銭大阪上京協会へ陶土薬品代送ル」などが管見でき、これを裏付けることができよう。釉も土地の鬼板や土石類を主体として、柞灰(いす)という木灰を合わせて作ったほか、大谷石、芦野石等が用いられたことがある。また前記日計表には「コロモサン・サンカアイン」を購入したことが誌してある。