特に木材製材業者のうち、数社は東北、北海道、樺太方面にまで進出した程である。
次にその関係資料を示す。
1、大正五年(一九一六)黒羽田町の斉藤酉之助氏が、大正、昭和の初期にかけて各種の事業に活躍した大川財閥の創始者大川平三郎氏に、斉藤氏は樺太木材工場の一切を売渡し樺太方面の事業を止めたが、その時の契約書は次の通りである。
樺太木材合資会社業務担当社員斎藤酉之助(以下甲ト称ス)ト樺太工業株式会社社長大川平三郎(以下乙ト称ス)トノ間ニ締結シタル契約書
第一条 甲ノ所有スル樺太真岡郡蘭泊村字富内岸沢ニ存在スル製材工場家屋機械附属品一切、及土地、材料場及之ニ附随スル一切ノ物件及甲カ樺太庁長官ト立木払下ニ関シ為シタル契約上ノ権利全部等以上総テノモノヲ金参万五千円ニテ乙ニ売渡シタリ但同工場主任川守田伝吉ノ名儀ニテ所有スル土地及其他ノ物件并権利モ総テ此契約ノ売渡物件ニ包含スヘキコト
以上売渡ノ権利及物件ハ既ニ甲ヨリ乙ニ交付シアル図面目録其他ノ書類ノ通リトス
第二条 前条ノ代金授受ハ本契約ノ締結ト同時ニ金五千円ヲ支払ヒ甲ハ此金五千円ヲ受領スルト同時ニ本契約ノ権利譲渡ニ付樺太庁長官ニ其許可ヲ出願シ乙ハ代理者ヲ派シテ書類ト現物トノ引合其他ノ調査ヲ行ヒ該調査ハ大正五年八月参拾壱日迄ニ終了スヘキモノトシ此調査ヲ終了シ而テ樺太庁長官ヨリ譲渡ニ付テノ許可アリタルトキハ乙振出、甲宛、支払期日大正六年壱月参拾壱日ノ約束手形ヲ以テ金参万円ノ支払ヲ為スヘキモノトス
但シ万一八月参拾壱日迄ニ調査及許可の手続ヲ了ラサルトキハ其終了迄手形振出ヲ延期スルモノトス
第参条 甲カ樺太庁ヨリ払下タル立木ニシテ未タ代採ヲ終ラサル大正四年度分残木約壱万五千石ハ立木壱石ニ付金拾五銭ノ割合ヲ以テ乙ニ於テ引取リ其代金ヲ甲ニ払渡スコト、但乙ニ於テ其石数ノ調査ヲ大正五年拾月参拾壱日迄ニ終了シタル上乙振出甲宛支払期日大正六年壱月参拾壱日ノ約束手形ヲ以テ支払フモノトス
第四条 甲ノ所有スル丸太材約壱万弐千石ノ内大正五年拾月弐拾日迄ニ甲ノ手ニテ売却シタル残高ハ乙ニ於テ引取ルヘシ但其引渡数ノ調査ハ大正五年拾月参拾壱日迄トス此丸太代金ハ壱石ニ付金八拾銭ト定メ節多キモノ腐朽シタルモノ又ハ中心ノ変色シテ赤味ヲ帯ヒタルモノ等製紙用ト為ラサルモノハ之ヲ除却スルモノトス其代金支払ハ甲宛支払期日大正六年壱月参拾壱日ノ約束手形ヲ以テスルコト
第五条 甲ハ大正参年度ニ払下ヲ受ケタル立木ニシテ未タ伐材セサルモノ約参千石アリ既ニ伐材期限モ近ツキタルヲ以テ甲ハ随意ニ伐材ノ上相当ノ価格ヲ協定シテ乙ニ売渡スモノトシ其代金ハ甲宛支払期日大正六年壱月参拾壱日ノ約束手形ヲ以テ支払フモノトス
第六条 甲ノ所有スル板類ニシテ乙カ工場建築ニ使用シ得ラルヽモノハ努メテ乙ニ於テ之ヲ買入レ使用スヘシ但此代金ハ現物ノ品質ニ依ルト雖モ可成乙自己ニ製板スル価格ヲ準準トシテ之ヲ協定スルコトトシ代金支払ハ大正六年五月参拾壱日ト定ム
第七条 此契約ハ甲カ富内岸川流域ニ於テ有スル一切ノ権利并ニ企業ノ全部ヲ乙ニ譲渡スルノ目的ヲ以テ締結セルモノニ付甲ハ乙ヲシテ完全ニ此譲受ノ目的ヲ達セシムルコトニ助力スヘキハ勿論、乙カ大正五年四月四日付、樺太庁長官ヨリ認評セラレタル林産物年期売払許可区域富内岸川流域以南吐鯤保川流域ニ至ル区域内ニ於テハ甲ハ将来直接間接ヲ問ハス立木ノ払下ヲ為サヽルモノトス
第八条 本契約売渡ノ土地物件ハ大正五年九月参拾日迄ハ無償ニテ甲カ使用スルコトヲ承認ス但シ此間甲ハ其財産の価値ヲ減損セサル様大切ニ保管スルモノトス
甲ノ所有ニ係ル板類置場及荷揚場ハ乙ノ使用ヲ害セサル範囲ニ於テ大正六年五月参拾壱日迄無償使用ヲ為スコトヲ乙ニ於テ認ム
第九条 此契約ヲ実行スルニ付樺太庁ニ対シ権利譲渡ノ評可ヲ受クルコト及土地建物器械等ニ関スル調査書類ト現物トノ引合等ヲ実行セシムル為メ乙ハ新井要之助、吉田仙男ノ両人ヲ、甲ハ川守田伝吉、大橋秀次ノ両人ヲ代理人トシテ差出シ一切ノ事項ヲ報告セシムルモノトス
第拾条 甲ハ此契約締結後恣ニ工場ノ附属品ヲ工場外ニ移スコトヲ得ス又火災其他ノ取締ヲ厳重ニスヘシ万一物件ノ授受前火災其他ノ原因ノ為メ売買財産減損シ其価格ヲ減スルコトアラバ是レハ甲ノ責任タルベキヘキコト
第拾壱条 此契約ハ双方ノ便宜上一切秘密ニ附シ関係者以外ニ漏レサル様双方責任ヲ以テ厳守スルコト
第十二条 甲カ第七条ノ規定ニ反シタルトキハ乙ハ其ノ都度本契約売買代金額ニ相当スル金額ヲ違約金トシテ請求スルコトヲ得
第拾参条 本契約ノ履行ニ関シ甲乙ノ保証人ハ各本人ニ連帯シテ責任ヲ負フモノトス
右ノ通契約致候ニ付本証弐通作成各壱通ヲ分有ス
大正五年(一九一六)八月八日
樺太豊原郡豊原町
売渡人 樺太木材合資会社
業務担当社員 斉藤酉之助
栃木県那須郡荒川村大字田野倉弐百拾六番地
右連帯保証人 高田耕平
樺太泊居郡泊居町
買受人 樺太工業株式会社
社長 大川平三郎
東京都本郷区根津宮永町参拾六番地
右連帯保証人 田中栄八郎
(黒羽田町斉藤家所蔵文書)
(注)大川平三郎 一八六〇―一九三七年。技術者で実業家。大川財閥の創始者。埼玉県川越在三芳野村に生れる。渋沢栄一の知遇をえ、一八七五年(明治八)完成した日本最初の製紙会社「抄紙会社」(のちの王子製紙)に入社、以後数次にわたり技術修得のため渡米、製紙技術の移入に貢献、日本近代的製紙業の基礎を築く。一八九七年(明治三〇)王子製紙が三井の傘下に入ったため退き、以後四日市・九州・富士製紙・樺太工業会社など製紙事業に辣腕を振う。製紙事業大合同(一九三三・昭和八年)で王子が樺太工業を合併するまで、藤原銀次郎との角逐は有名。事業上の敏腕をもってきこえ、製鉄・製鋼・海運・電力・金融・森林・土地などその関係事業は数十にのぼった。
(鳥羽欽一郎)
(平凡社発行、歴史人物辞典より)
大正初期に樺太迄進出し、大きな会社を建設国有林を払下げ事業を進めたことは、誠に驚異の限りである。
この契約書は詳細に亘りとりきめされ、取引きの難しさが分る。いずれにしても本町にも大実業家がいたのである。
町村合併後の昭和三十年(一九五五)当時は事業所が三十三となっているが、合併後十年たった昭和四十一年(一九六六)には、六十五と約倍になり、昭和五十四年(一九七九)には百十二で相当な上昇率がみられる。昭和五十年(一九七五)は百三、それまでは、経済の高度成長時代が反映して、工場の進出がめだったがその後安定してきているようである。現在寒井本郷那珂川沿いに大型工場が誘致され、建設中であるが早期完成と、その創業が、町民一般から期待されている。