栃木県酒造組合支部は、明治三十二年(一八九九)九月頃結成されたのであるが、その前の明治二十七年(一八九四)の記録に「那須 大田原芦野 酒造組合」というのがあるので、これに対して「那須郡南部酒造組合」もあったらしい。いづれにしても、明治二十四年(一八九一)か明治二十五年頃には、那須郡には既に二つの酒造組合があったようである。明治三十二年(一八九九)十月現在の那須支部は、那須郡全部にわたり四十七名で、黒羽町の支部員は次のとおりであった。
両郷村 渡辺政一郎
黒羽町 福田亥之助
須賀川村 小西清兵衛
須賀川村須佐木 村田徳三郎
黒羽町矢倉 渡辺栄作
川西町 谷善助
〃 江部久松
〃 猪股槙之助
黒羽町 福田亥之助
須賀川村 小西清兵衛
須賀川村須佐木 村田徳三郎
黒羽町矢倉 渡辺栄作
川西町 谷善助
〃 江部久松
〃 猪股槙之助
2、渡辺酒造株式会社、那須郡黒羽町須佐木七九の一 代表取締役渡辺正英
初代渡辺栄作は、明治二十年(一八八七)頃より、酒造従業員として各地の酒造場で働いているうち、当黒羽町矢倉の大金氏が酒造営業を廃業する由を聞き、その蔵を借り受けて、明治二十五年(一八九二)十月一日酒造を初めたが、当地は交通不便のため、須賀川村須佐木に酒造営んでいた村田徳次郎氏が廃業することを知り、大正元年(一九一二)十月一日にその倉を買受け当地に移り、屋号を「栄屋」と称し、後、法人組織に改組、現在に至る。酒銘は「旭興」元は「正盛」を用いた。(栃木県酒造組合発行、「栃木酒あゆみによる」)
次に県の係官が酒、醤油等の醸造石高を、検査し旧川西町長に報告した文書を転載する。
種目 | 廿二年度造石高 | 町村名 | 氏名 |
清酒 | 四百九石壱斗六升八合 | 川西町大字黒羽向町 | 安藤忠助 |
同 | 四百四拾四石九斗五升三合 | 同 | 江部久松 |
同 | 五百拾壱石八斗弐升八合 | 同 | 猪股槙之助 |
計 | 千三百六拾五石九斗四升九合 | ||
但焼酎蒸溜石高着手以前ナルヲ以テ未定 | |||
種目 | 廿二年諸味査定石高 | 町村名 | 氏名 |
醤油 | 百弐拾八石七升七合 | 川西町大字黒羽向町 | 植竹三右衛門 |
同 | 拾五石九斗六升壱合 | 大野友七 | |
計 | 百四拾四石三升八合 |
右之通
廿三年三月廿八日 □□□□□
町長 益子元殿
(旧川西町役場関係綴)
町村制が布かれて間もない役場の文書としては、最も古い分に属しているもので、非常に貴重なものである。