目次
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第二編 歴史の流れ
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第五章 近現代
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第二節 新しい時代への歩み
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二、交通・通信
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(一) 交通
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二 陸運
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2 橋と渡船
(1)那珂橋
723 ~ 724
向町と田町は那珂川で二分され、人馬の往来は渡船に頼っていたので非常に不便であった。そこで向町船橋九兵衛はそれを解消すべく、天保十一年(一八四〇)私財五百五十両を基金に富豪の浄財を受け、両町間に船橋を完成した。この橋は明治八年(一八七五)まで船橋氏が橋銭を徴し独力で経営に当っていたが、その後黒羽向町との共有になった。しかし、毎年、洪水のため、三、四回は船橋をはずさなければならず、また交通量も年々増加してきたので、両町の有志は大橋建設を県に請願、それが認可され、明治三十二年(一八九九)十二月、木橋が建設された。
この木橋は那珂橋と命名された。五百七十六尺、幅十五尺、高さ三丈五尺、総工費一万二千三百九十七円であった。この木橋もその後、洪水のため流失することもあり、また交通量の増大、交通機関の発達に適応すべく永久橋化が計画され、それが完成をみたのは昭和八年(一九三三)で、総工費六万円であった。
明治初期
大正時代の木橋
現在の那珂橋
木橋の開通式