(2)那珂川橋

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寒井、稲沢間を走る関街道は往時より、白河会津方面との物産交流のために人馬の往来ははげしかった。そこで寒井、稲沢間を流れる那珂川にも渡船場がおかれ、渡津が行なわれた。明治十二年(一八七九)船は二艘用意され、渡賃は人が七厘、車一銭四厘であった。明治二十年代には土橋もつくられていたが、再三、流出にあったようである。
  土橋流出御届
 一、那須郡 川西町伊王野 大字 寒井稲沢 境界那珂川土橋  [伊王野稲沢]
  右者、本月廿六日大雨洪水ニ而仝日午後三時頃
  流出仕候間此段御届ケ申上候也
    川西町大字寒井 惣代
              石井岸之助
 明治廿六年三月廿七日
 かくて、伊王野村稲沢と川西町寒井が那珂川の渡船及土橋の請負をすることになった。
  渡船及土橋の請負願
  那須郡 川西町伊王野村 大字 寒井稲沢 境界
 一、那珂川     土橋壱ヶ所
右者仮定縣道関街道那須郡川西町ヨリ同郡伊王野村ヘ通ル渡船及土橋明治二十七(一八九四)年一月ヨリ同三十一(一八九八)年十二月〓満五ヶ年間請負仕度旅人等荷物人力車牛馬橋銭及運送賃共別紙見積リ書之通リ橋銭之義ハ勿論洪水落橋之際モ見積金額之外一切不申受候間特別御詮議ヲ以テ御許可相成度別絵図及収支予算等書相添此段奉願候也
     那須郡伊王野村大字稲沢
      請負願人区長
         深山伝左衛門印
 明治二十六年十一月廿八日
     同郡川西町大字寒井
      請負願人惣代
         石井岸之助 印
      伊王野村長関戸清太役印
      川西町長益子元役印
 栃木県知事 折田平内殿
   渡船料収入予算
一、金参拾四円五拾銭
  但売ヶ年分
 内訳
 金拾八円  渡船人 千八百人
  但壱人ニ付壱銭
  但シ十二ヶ月ノ内四ヶ月渡船ノ見積リ
 金参拾銭  荷物弐拾駄
 但シ壱駄ニ付金壱銭五厘
  但仝上
 金六円   牛馬六百頭
  但シ
  壱頭ニ付金壱銭
  但シ十二ヶ月内四ヶ月渡船ノ際川引越ノ見積リ
 金五円四拾銭 人力車 参百六拾輌
  但シ人力車壱輌ニ付金壱銭五厘
  但仝上
 金四円八拾銭 荷車 弐百四拾輌
  但荷車壱台ニ付金弐銭
 渡船支出予算
一、金 弐拾七円六拾銭
  内訳
  金参円六拾銭 船製造壱ヶ年割合
  但五ヶ年間ニ船弐艘ノ見積リ
  新製造料金 杉八円出来上リ買入見積リ
  金弐拾四円    渡船人給料
  但十二ヶ月ノ内四ヶ月分壱日金弐拾銭
 差引
 金六円九拾銭    利益金
  橋銭収入豫算
 金四拾壱円六拾銭
  内訳
  金拾円八拾銭   通行人参千六百人
  但壱人ニ付金参厘
   十二ヶ月之内八ヶ月分ノ見積リ
  金四円参拾弐銭  人力車七百弐拾輌
   人力車壱輌ニ付金六厘
  但十二ヶ月ノ内八ヶ月分ノ見積リ
  金拾四円四拾銭  牛馬弐千四百頭
   牛馬壱頭ニ付荷物込金六厘
  但
   十二ヶ月ノ内八ヶ月分ノ見積リ
  金拾円八拾銭   荷車七百弐拾輌
   壱輌ニ付金壱銭五厘
  但
   十二ヶ月ノ内八ヶ月分ノ見積リ
  金壱円弐拾八銭  荷馬車六拾四台
   壱台ニ付金弐銭
  但
   十二ヶ月ノ内八ヶ月分ノ見積リ
 
  橋銭支出豫算
一、金 参拾七円参拾六銭八厘
   内譯
 金弐拾弐円九拾六銭八厘  橋掛代
  十二ヶ月ノ内八ヶ月間弐度落橋ノ見込
 但
  壱回橋掛金拾壱円四拾八銭四厘ノ見積リ
 金拾四円四拾銭   橋銭取場番人
  但シ金六銭ニテ十二ヶ月ノ内八ヶ月ノ分ノ見積リ
 差引
 金四円弐拾参銭弐厘  利益金
 以上寒井及稲沢が渡船料、賃橋料を徴収し、寒井、稲沢間の通行を請負ったのであるが、大正末期この路線が県道に昇格したのにともない、経営費は県が受持ち、通行人からは渡船料は徴収しないようになった。
 栃木県指令第九一九號
       那須郡川西町
        指定人 池沢金次郎
             外一名
 昭和二年三月九日付申請那珂川筋寒井渡船場経営ヲ指定ス。但シ左ノ通リ心得ベシ
   昭和二年三月三十一日
       栃木県知事 藤岡兵一
 一、経営指定期間ハ自昭和二年四月一日至昭和三年三月三十一日ニシテ、経営費六百拾五円トス。
 一、物件保管証
 一、渡シ船    壱艘
 一、渡シ綱長サ十二間壱本
   但針金製
 一、掉       二本
 しかし昭和四年より地元に請負わせるのでなく直接県が経営することとなった。
 川第六四四號
 土、昭和四年三月十九日
       川西町長 磯嘉伊助
 寒井地区池沢金重郎殿
 左記縣営渡船場昭和四年度ヨリ直接本県ニ於テ経営致スコトト相成候ニ付本月末日限リ保管物件當課土木区主幹ニ引渡方本縣内務部長ヨリ通牒相成候條此段及移牒候也
渡船及賃橋明治二六年度明治四十年度
街道名町村名渡船賃橋渡船賃橋
箇所賃銭箇所賃銭箇所賃銭箇所賃銭
円銭
黒羽街道川西町二五、〇〇
黒羽街道川西町二五、〇〇
茨城街道黒羽町三二、五〇
佐良土街道黒羽町二五、二〇
大田原街道西郷村三〇、〇〇
関街道湯津上村八五一、三〇
片田ヨリ湯津上ニ達スル道
関街道川西町
大山田ヨリ片田ヲ経テ湯津上ニ達スル道黒羽町二六、七〇
矢倉ヨリ佐良土ニ達スル道黒羽町二五、三二
黒羽街道西郷村三五、〇〇
関街道伊王野一、六〇六三一、七〇

    記
 一、寒井渡船場
 その後渡船および土橋によって交通が行なわれていたが永久橋の那珂川橋が完成したのは戦後の昭和三四年(一九五九)であった。