参考(1)
昭和八年(一九三三)八月十五日、那珂橋の開橋をみた。開通式にあたり川西町長は次のような祝辞を述べた。
祝辞
仰ケバ一望ノ翠巒色濃ニシテ清爽ノ気漲リ、脚下ノ清流ハ潺潺トシテ天地ノ悠久ヲ謳歌スルニ似タリ。自然ノ風光ハ夫レ妙趣ニ富ムノ秋ニ方リ那珂橋架設ノ工事功ヲ竣ヘ茲ニ開通ノ式ヲ挙ゲラル。殊ニ本橋ノ改修ハ伴フニ街路ノ整理ヲ以テセラレ交通ノ便更ニ大ナルモノヲ加フ。本町ノ深ク奉慶トスル所ナリ。抑本路線ニ橋梁ノ設ケラレシハ壱百有余年前本町ノ人釜屋平(兵衛)氏本川ノ交通唯僅ニ扁舟ニ棹シテ人馬ヲ運ブノミナルノ不便ヲ概嘆シテ年アリ、遂ニ決然私財ヲ以テ天保元年工ヲ起シ、十ヶ年ノ日子ト当時額ニシテ五百五拾金ヲ費シテ始メテ落成セル船橋ヲ以テ濫觴トナス。文化ノ恩恵今日ト比スベクモアラザル天保年間ニ於テ流域六百尺ノ河川ヲ頑塁ナル鉄鎖ニ依リテ横断シ一定間隔ニ船ヲ懸ケ以テ移動式橋脚ヲ作リ一朝増水ニ接セハ浮上ト撤収ニ備フ。交通機能ノ幼稚ナリシ当時ニアリテハ以テ異数ノ橋梁トシテ称揚セラシモノ尓来其式ハ代謝踏襲セラレテ明治三拾弐年ニ及ベルナリ。然レモ本県時運ニ鑑ミ如此遺物的橋梁ノ改修ヲ策セラレ同年十二月ヲ以テ竣成セルモノ即チ那珂橋ノ初メニシテ其後星霜ヲ経ルニ随ヒ替架数次而も回ヲ重ヌル毎ニ其面目ヲ一新セラレ殊ニ本橋ニ至リテハ「ポーニ式」鋼構橋ニシテ其景観ノ優美ナルハ勿論橋梁ノ使命タル重量ノ負擔力ト其耐久ノ力ニ至リテハ最モ卓越セル結構ニシテ大ニ吾人等ノ意ヲ強クスルモノニシテ剰(工事ノ施行ニ当リテハ其監督ニ直面セル諸士常ニ能力其労役者ニ伍シテ汗ヲ倶ニシ孜々トシテ施行ノ正確ヲ期セラレシハ亦以テ本橋ノ能力ヲ万全ナラシムル所以ニシテ其実況ヲ克ク目撃シツヽアリシ卑職等ノ寔ニ堪ヘザル所ナリトス
慈ニ本日ノ式典ニ方ニ聊蕪言ヲ叙シ以テ祝辞トス
川西町長 安田六之助
祝辞
仰ケバ一望ノ翠巒色濃ニシテ清爽ノ気漲リ、脚下ノ清流ハ潺潺トシテ天地ノ悠久ヲ謳歌スルニ似タリ。自然ノ風光ハ夫レ妙趣ニ富ムノ秋ニ方リ那珂橋架設ノ工事功ヲ竣ヘ茲ニ開通ノ式ヲ挙ゲラル。殊ニ本橋ノ改修ハ伴フニ街路ノ整理ヲ以テセラレ交通ノ便更ニ大ナルモノヲ加フ。本町ノ深ク奉慶トスル所ナリ。抑本路線ニ橋梁ノ設ケラレシハ壱百有余年前本町ノ人釜屋平(兵衛)氏本川ノ交通唯僅ニ扁舟ニ棹シテ人馬ヲ運ブノミナルノ不便ヲ概嘆シテ年アリ、遂ニ決然私財ヲ以テ天保元年工ヲ起シ、十ヶ年ノ日子ト当時額ニシテ五百五拾金ヲ費シテ始メテ落成セル船橋ヲ以テ濫觴トナス。文化ノ恩恵今日ト比スベクモアラザル天保年間ニ於テ流域六百尺ノ河川ヲ頑塁ナル鉄鎖ニ依リテ横断シ一定間隔ニ船ヲ懸ケ以テ移動式橋脚ヲ作リ一朝増水ニ接セハ浮上ト撤収ニ備フ。交通機能ノ幼稚ナリシ当時ニアリテハ以テ異数ノ橋梁トシテ称揚セラシモノ尓来其式ハ代謝踏襲セラレテ明治三拾弐年ニ及ベルナリ。然レモ本県時運ニ鑑ミ如此遺物的橋梁ノ改修ヲ策セラレ同年十二月ヲ以テ竣成セルモノ即チ那珂橋ノ初メニシテ其後星霜ヲ経ルニ随ヒ替架数次而も回ヲ重ヌル毎ニ其面目ヲ一新セラレ殊ニ本橋ニ至リテハ「ポーニ式」鋼構橋ニシテ其景観ノ優美ナルハ勿論橋梁ノ使命タル重量ノ負擔力ト其耐久ノ力ニ至リテハ最モ卓越セル結構ニシテ大ニ吾人等ノ意ヲ強クスルモノニシテ剰(工事ノ施行ニ当リテハ其監督ニ直面セル諸士常ニ能力其労役者ニ伍シテ汗ヲ倶ニシ孜々トシテ施行ノ正確ヲ期セラレシハ亦以テ本橋ノ能力ヲ万全ナラシムル所以ニシテ其実況ヲ克ク目撃シツヽアリシ卑職等ノ寔ニ堪ヘザル所ナリトス
慈ニ本日ノ式典ニ方ニ聊蕪言ヲ叙シ以テ祝辞トス
川西町長 安田六之助
参考(2)
黒羽橋は町道奥沢牛居渕線の那珂川に架橋されている。(昭和五十年三月二十八日竣工
橋の長さ 百二十四・八m
幅員 道路部 七・五m
車道部 五・五m
歩道部 一・五m
路肩 〇・二五×〇・二五左右
面積 九百三十六m2
幅員 道路部 七・五m
車道部 五・五m
歩道部 一・五m
路肩 〇・二五×〇・二五左右
面積 九百三十六m2
(橋梁台帳による)
黒羽橋
黒羽橋渡り初め式における「工事経過報告」によるとその概要は次の通りである。
黒羽橋は昭和四十七年度農村基盤総合整備パイロット事業(農林省)のモデル地区の指定を黒羽町が受け、その一環として昭和四十九年二月二十日パシフイック航業の設計に基き宮地鉄工KK外七社の請負により着工し、昭和五十年三月二十八日竣工した。橋の中央に一つの橋脚を有するツースパン橋で、桁は最新式工法で二経間連続箱桁で、この鋼材は三百七トンを要し、総工費一億七千万円の県営事業により施行されたものである。
現在那珂川筋には川田橋、黒羽橋、那珂川橋、永昌橋、矢倉橋があるが、昭和五十八年度完工目標に、目下湯殿橋の架橋が進められている。
湯殿大橋は、亀山、湯津上線(黒羽側)と石田片田線の主幹道を結ぶ橋梁である。その規模は次の通りである。
黒羽橋は昭和四十七年度農村基盤総合整備パイロット事業(農林省)のモデル地区の指定を黒羽町が受け、その一環として昭和四十九年二月二十日パシフイック航業の設計に基き宮地鉄工KK外七社の請負により着工し、昭和五十年三月二十八日竣工した。橋の中央に一つの橋脚を有するツースパン橋で、桁は最新式工法で二経間連続箱桁で、この鋼材は三百七トンを要し、総工費一億七千万円の県営事業により施行されたものである。
現在那珂川筋には川田橋、黒羽橋、那珂川橋、永昌橋、矢倉橋があるが、昭和五十八年度完工目標に、目下湯殿橋の架橋が進められている。
湯殿大橋は、亀山、湯津上線(黒羽側)と石田片田線の主幹道を結ぶ橋梁である。その規模は次の通りである。
橋の長さ 二百九十九・五五m
幅員 十・七五m (全幅)
片側歩道付 W=二・〇〇m
橋格 一等橋 TL―二〇(重量二十トン)
三径間連続鈑桁橋(二連)
活荷重単純合成鈑桁橋(一径間)
橋角 tan90° (直角)
縦断勾配直 一・五%
逆丁式橋脚 一基
控壁式橋台 一基
橋脚(直接基礎)六基
逆丁式
幅員 十・七五m (全幅)
片側歩道付 W=二・〇〇m
橋格 一等橋 TL―二〇(重量二十トン)
三径間連続鈑桁橋(二連)
活荷重単純合成鈑桁橋(一径間)
橋角 tan90° (直角)
縦断勾配直 一・五%
逆丁式橋脚 一基
控壁式橋台 一基
橋脚(直接基礎)六基
逆丁式
町内の主な県橋 |
橋梁名 | 橋の長さ (m) | 幅 (m) | 耐荷重量 (t) | 竣工年次 |
1.那珂橋 | 166.8 | 5.6 | 6 | 昭8 |
2.旭橋 | 8.0 | 7.5 | 6 | 大12 |
3.豆田橋 | 21.6 | 7.5 | 20 | 昭52 |
4.堂川橋 | 5.5 | 5.0 | 24 | 〃56 |
5.那珂川橋 | 81.1 | 6.0 | 20 | 〃34 |
6.川田橋 | 29.2 | 5.5 | 9 | 〃38 |
7.川田橋 | 14.6 | 4.4 | 9 | 〃30 |
8.八塩橋 | 21.8 | 4.6 | 6 | 〃7 |
9.下高橋 | 25.0 | 6.3 | 20 | 〃55 |
10.上高橋 | 33.8 | 7.5 | 20 | 〃46 |
11.弾正橋 | 15.3 | 5.5 | 9 | 〃29 |
12.阿久津橋 | 26.0 | 7.57~8.34 | 20 | 〃53 |
13.独木橋 | 19.0 | 4.8 | 6 | 大5 |
14.瑞雲橋 | 15.9 | 6.5 | 6 | 昭8 |
15.梅泉橋 | 15.1 | 5.5 | 9 | 〃24 |
16.高取橋 | 12.3 | 4.5 | 6 | 〃7 |
17.上蛇木橋 | 13.0 | 5.5 | 6 | 〃11 |
18.大月橋 | 8.8 | 5.5 | 3 | 〃5 |
19.下河原橋 | 13.0 | 4.5 | 9 | 〃28 |
20.新横山橋 | 10.0 | 6.0 | 20 | 〃34 |
21.新市場橋 | 10.7 | 6.3 | 3 | 〃11 |
22.新清水橋 | 13.7 | 6.0 | 3 | 〃36 |
23.波上橋 | 18.0 | 4.5 | 2 | 〃26 |