(1)戦時教育令の公布

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昭和六年(一九三一)の満州事変、翌七年には上海事変以来諸情勢の変化が教育に対しても改革を要請してきたが、十二年(一九三七)の日華事変の後は文教政策にも戦時下という考え方がみられるようになった。十六年(一九四一)十二月からの太平洋戦争以後は非常時教育の施策を実施する気運が高められ、十八年(一九四三)からは決戦体制下の教育に入り、更に戦場が本土近くにせまり都市が爆撃にさらされるようになって「戦時教育令」を公布し、学校の教育活動をほとんど停止するという措置をとった。先ず小学校を改めて国民学校とした。