戦時下の学校の教育は国民精神総動員の運動と密接な関係をもって展開された。学校教育の皇国主義化「国体明徴」「教学刷新」の標語のもとに推進された。学校教育の重点として皇室崇拝と敬神崇祖の思想教育が重視された。各小学校に奉安殿を設け、毎朝会および曜日を定めて宮城ならびに伊勢神宮を遥拝したり、毎月、勅語の下賜記念日に勅語服ようの行事を行ったりして皇室尊崇の訓育を徹底させた。また敬神崇祖の観念を養うために郷土の氏神社へ定期的に参拝を行い皇軍将兵の武運長久を祈願したり神社の清掃作業を奨励した。
また学校の掲示板や各教室に戦局地図や新聞雑誌の切り抜き、出征軍人からの通信文などを掲示し、出征軍人への慰問文を書かせるなどをして時局認識を高めた。また訓育としては行的訓練が重視された。教職員児童とともに端座暝目して静座し、精神修養に努めた。また昭和十三年(一九三八)以降勤労奉仕作業がひろく行なわれるようになった。校内では学校園、教材園、家畜舎の運営をしたり学校外では出征軍人遺家族への農繁期手伝いや社寺の清掃奉仕作業、道路修理作業などが実施され、児童に勤労愛好と相互扶助ならびに奉仕の精神を養おうとした。
児童の体位の向上は戦時下国家の須要な関心事であった。一方では児童の栄養改善のため肝油を服用させたり偏食矯正や咀嚼訓練なども行なった。
昭和七年から始まった学校給食も救貧政策から栄養補給的性格を持つようになった。また日光浴、乾布まさつ、正常歩訓練等も実施した。