⑤学校給食

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学校給食の歴史は戦前にさかのぼるが、本格的な取り組みは戦後からである。
 本町の学校給食は、昭和二十五年ごろから冬期間の味噌汁給食、続いて脱脂粉乳の給食で始められた。昭和三十八年よりミルク給食(脱脂粉乳)は町に移管され、須賀川地区ミルク共同調理場、黒羽地区ミルク共同調理場が発足した。昭和三十九年(一九六四)十一月、須賀川地区民一同連署をもって完全給食実施への請願をした。昭和四十一年(一九六六)四月から須賀川地区の完全給食が開始され、黒羽町学校給食センター(現在地)が完成し昭和四十二年二月から町内全小・中学校に完全給食が実施された。

黒羽町学校給食センター

 ○黒羽町学校給食の歩み(昭和四十一年度以降)
昭和四十一年(一九六六)四月 一部完全給食開始須賀川地区
  須賀川調理場完成  実施回数週六日
  小学校 三校 六八九人(月額給食費六〇〇円)
  中学校 一校 四六七人(  〃  七〇〇円)
昭和四十二年二月 全小中学校完全給食開始
  黒羽町学校給食センター完成(現在地)
  小学校 十二校 二八八八人(月額給食費七〇〇円)
  中学校  四校 一九九五人(  〃  八〇〇円)
   計  十六校 四八八三人
昭和四十二年四月 牛乳の生乳に切替える
〃 四十四年四月 完全給食週五日制となる
〃 四十六年四月 須賀川調理場廃止、黒羽町学校給食センターに統合
  小学校 二二六三人(月額給食費九〇〇円)
  中学校 一五八七人(  〃  一〇五〇円)
   計  三八五〇人
昭和四十九年四月 牛乳ビン装に切替える
  小学校 一八〇五人(月額給食費一六〇〇円)
  中学校 一三三五人(  〃  一八〇〇円)
   計  三一四〇人
昭和五十一年四月
  小学校 一六一七人(月額給食費二二〇〇円)
  中学校 一〇九三人(  〃  二五〇〇円)
   計  二七一〇人
昭和五十二年四月 週二回米飯給食実施(委託炊飯)
  小学校 一五六五人(月額給食費二六〇〇円)
  中学校 一〇三九人(  〃  三〇〇〇円)
   計  二六〇四人
昭和五十五年四月
  小学校 一六二〇人(月額給食費二八〇〇円)
  中学校  八〇七人(  〃  三三〇〇円)
   計  二四二七人
昭和五十六年四月 土曜日牛乳給食
  小学校 一六二八人(月額給食費二九五〇円)
  中学校  七八一人(  〃  三四五〇円)
   計  二四〇九人