戦後の教育改革で学校制度と並んで大きな変革をみたのは教育行政制度である。教育行政の民主化、地方分権、自主性確保を根本理念とした教育委員会法は昭和二十三年(一九四八)に公布された。
この制度によって、昭和二十三年に発足したのは四十六都道府県および五大都市と四十数市町村に過ぎなかった。その後、義務設置年限である昭和二十七年に全国市町村に設けられた。当初は各町村の助役が教育長を兼務した。昭和二十八年(一九五三)四月一日、第三班教育委員会連絡協議会(川西町・黒羽町・須賀川村・両郷村・湯津上村)を結成し、緑川留吉を教育長に選任し、事務局を川西町役場に置いた。昭和三十年(一九五五)、川西町・黒羽町・須賀川村・両郷村が合併して黒羽町となり、昭和三十一年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の施行に伴い、同年(一九五六)十月一日から任命制による黒羽町教育委員会として発足した。