この時期の衛生行政の最大の課題は伝染病の対策であった。開国によって、わが国は海外諸国と交流が始まったが、それにともなって、コレラ、痘そうなどの伝染病も侵入してきた。とくにコレラは明治十年(一八七七)~二十二年(一八九〇)にかけて大流行がくり返えされ、大量の犠牲者を出した。そこで政府は明治十三年(一八八〇)に伝染病から国民を守るために伝染病予防規則を公布した。しかし当時は伝染病に対する研究も幼稚であり、予防措置としては石炭酸や生石灰液の散布をするという程度にすぎなかった。明治二十六年(一八九三)以降は地方衛生行政は警察業務の中にくみいれられ、明治三十年(一八九七)に伝染病予防法が制定・施行されるにおよび、公衆衛生の威力があらわれてきたのである。
この法律によって、コレラ・赤痢・腸チフス・痘瘡・発疹チフス・猖紅熱等が法定伝染病と定められ(後流行性脳脊髄膜炎・ヂフテリア・ペスト等追加)、これらの伝染病が発生した場合には医者は患者の届出の義務、その外消毒、患者の隔離等が義務づけられた。また町村はそのため、伝染病隔離病舎の設置が義務づけられたのである。
川西町
衛生費及伝染病予防費調明治二十八年(一八九五) 自四月一日至十二月卅一日
衛生及伝染病予防費
衛生費 十五円五十銭
伝染病予防費 二百三十六円十銭
支出 百七十九円八十九銭五厘
伝染病予防法の公布を契機に各町村に衛生組合が編成され、伝染病の予防、あるいは、伝染病発生時には警察官の指揮のもとに患者と外部の遮断、消毒等に従事した。
黒羽向町衛生組合決算 (明治四十三年(一九一〇)度)
一金六十八円二十四銭五厘
内訳
一金十八円八十銭 組長手当
但シ一日四十銭ノ割ニテ四七日分
一金 二円 副組長日当
但シ一日四十銭ノ割ニテ五日分
一金 九円六十五銭 委員日当
但シ一日三十五銭ノ割ニテ三十六日分
一金 五円五十銭 人足買上賃
是ハ同年二月八日伝染病患者収容及消毒薬品運搬其ノ他堀掃除等ニ使用
計 三十五円九十五銭
一金 二十八銭 ヂヨロ二個
一金 七銭五厘小柄杓三個
一金 四十銭 石炭酸一本
一金 八円 五十銭 石炭酸十本
生石炭十罐
一金 八円 五十銭 石炭酸十本
生石酸十罐
一金 二円十五銭 生石炭五罐
一金 三円 消毒衣三枚
一金 九十銭 三巾蒲団三枚
一金 十銭 シナ縄二本
一金 八十銭 常念寺へ席料
是ハ同年三月十八日同月二十五日組合員惣会ニ付
一金 六十銭
是ハ右同所ニ使丁日当二日分但シ一日三十銭ノ割
一金 一円 筆墨紙料
是ハ衛生組合事務所用
計金 三十円二十九銭五厘
合計六十六円二十四銭五厘
清潔法施行通達 (明治三十五年(一九〇二)五月十二日)
清潔法施行ニ付左ノ諸項ニヨリ掃除方其大字毎戸ニ通達相成ベク、且ツ左ノ日割ヲ以テ出来跡検査トシテ警察署員役場吏員同行ニテ臨検候条其ノ際再掃除ヲ命ゼラル等ノ不都合無シ様予メ充分ノ御注意有リ渡此段併方御通知候也
一飲料ニ供ニス溝梁ノ掃除
一井戸浚へ及井戸側ノ修理
一家屋内ノ掃除床下共
一宅地内ノ掃除 流シ溜
一便所
一家屋ニ接近ニアル芥溜
(日割略)
各衛生組長 川西町長
明治期における本町の衛生関係者 |
両郷 | ||
年 | ||
明治二十六年 | 医師 | 1 |
産婆 | 2 | |
薬剤師 | ||
薬種商 | ||
明治三十年 | 医師 | 1 |
産婆 | 2 | |
薬剤師 | ||
薬種商 | ||
明治四十年 | 医師 | 1 |
産婆 | 2 | |
薬剤師 | ||
薬種商 |
(那須郡統計による) |
明治期における本町の医師名の判明せる者(川西町伝染病発生届より)
磯嘉伊助
磯良節
遠藤謙益
塩田磯重
田崎良之助
坂内伯意
坂内大夢
荒川秀俊
荒川静齋
荒川主馬
秋葉碌郎
徳木有隣
毛人鉄人
小室文弥
井上庄次郎
磯良節
遠藤謙益
塩田磯重
田崎良之助
坂内伯意
坂内大夢
荒川秀俊
荒川静齋
荒川主馬
秋葉碌郎
徳木有隣
毛人鉄人
小室文弥
井上庄次郎
このようにして急性伝染病に対する予防施策を行いつゝ明治末から大正期にかけて対策の重点はやがて慢性伝染病であるトラホームや結核予防に移されていった。明治四十五年の佐久山町全衛生組合員の集団検診結果によると、二千五十五人中七百二十一人の罹患者がいたと報告されているが、恐らく本町においても同じ位の罹患率ではなかったろうか。栃木県訓令第十九号は風俗営業者・壮丁・学生に対する検診と該患者に対して、治療を命じている。
トラホーム検診結果(川西町) |
大正3年度 |
種別 | 検診人員 | 患者数 | 計 | ||
重症 | 軽症 | 越患 | |||
理髪業 | 二七 | 一 | 一 | ||
旅人宿 | 一七 | 七 | 七 | ||
料理屋 | 六 | 一 | 一 | ||
飲食店 | 一五 | 六 | (五) | 六 | |
壮丁 | 五 | 三 | 三 | ||
計 | 七〇 | 一八 | (五) | 一八 |
しかしトラホームは長期にわたる徹底治療が必要な上、家族の中に一人でも罹患者がいると家族全員に感染するので、なかなか効果をあげることができず、例年同じような結果がみられた。
他方結核死亡者は、死亡統計がとられはじめた明治後期、すでに高い値を示し、不治の病として恐られていたが、大正八年(一九一九)結核予防法が制定され、つづいて大正十四年(一九二五)からは四月二十七日を、全国結核予防デーとして結核予防の啓蒙行事を実施するようになった。川西においては当日は寝具及び平常着類の一斉日光消毒が呼びかけられ実施された。
大正十三年(一九二四)黒羽・川西における医・歯科・院
黒羽 秋葉医院・三田医院・大塩医院・塩田医院・斎藤医院 佐川歯科医院・鮎瀬歯科医院・黒羽歯科医院
川西 車田医院・磯医院・磯医院・鈴木歯科医院
衛生組合は明治期に設立され活動に当ってきたが、さらに強化する目的で昭和二年(一九二七)三月四日、栃木県令第十六号で衛生組合規則が出され、衛生組合の設置が町村に義務づけられた。それによって昭和三年(一九二八)六月川西町においても衛生組合の再編成がなされた。それによると、組合は伝染病予防救治、其他衛生に関する事項を協同扶助することを目的として、概目左の如き事項を施行することになった。
一、清潔法施行に関する事項
二、消毒法施行に関する事項
三、種痘法施行に関する事項
四、伝染病予防救治に関する事項
五、飲料水下水改善に関する事項
六、衛生思想普及に関する事項
七、其の他公衆衛生に関する事項
二、消毒法施行に関する事項
三、種痘法施行に関する事項
四、伝染病予防救治に関する事項
五、飲料水下水改善に関する事項
六、衛生思想普及に関する事項
七、其の他公衆衛生に関する事項
この規則の中で特徴的なことは衛生組合規約は警察署長の認可承認を必要条件としていることと、違反者への処分事項が明記されていることである。
第二十八条 組合員は第十四条の事項を恪守せず警察官吏又は本組合役員の注意を受けるも仍之を肯せざるときは評議員会の議決を経て弐拾円以下の過怠金を徴収す。
とあり、警察指導色の強いものであった。
ところで昭和初期の衛生活動状況を伝染病予防費および衛生組合費によってみれば左のようである。
伝染病予防費調 川西町 |
種目 | 大正十五年 昭和元年度(決算) | 昭和二年度(決算) | 昭和三年度(予算) |
伝染病予防費 | 一七六円七〇〇 | 一三一円五二〇 | 二五六円〇〇〇 |
隔離病舎費 | 八一四円四二〇 | 七〇五円三八〇 | 九九一円〇〇〇 |
計 | 九九一円一二〇 | 八三六円九〇〇 | 一、二四七円〇〇〇 |
衛生組合収支決算 川西町(昭和三年度)
収入
一金三百八十円 町費補助金
支出
一金三百円五十八銭
内訳 (一)人件費 七十四円
(二)備品消耗品費 百三十九円五十八銭
昇汞水用噴霧器(三個)
円スイ(十二箇)
廻診衣
白消毒衣
薬品代(四円)(クレソール石鹸水、クロール石灰・石灰)
(三)各支部経費配当金 八十七円
差引残高
一金七十九円四十二銭
(昭和三年(一九二八)度は伝染病が少なく決算は黒字)
昭和初期の衛生の重点は結核予防、寄生虫駆除、伝染病の予病、におかれた。
結核については、大正十四年(一九二五)結核予防デーが制定され、積極的予防運動が展開されたが、なかなか効果があがらなかった。
肺結核患死者 (昭和九年(一九三四)中)
川西患者数二 死亡者二、両郷患者数五 死亡者五
そこで第十一回結核予防デー(昭十・四・二七)実施に際して川西では次のような計画をたてた。
一、家屋内外ノ清掃並衣類寝具等ノ日光消毒
一、予防宣伝標語・印刷物ノ配布
一、結核予防ヲ主眼トセル活動写真会ノ開催
一、道路横断幕立札ノ設置
一、無料健康相談所ノ開設(早期診断治療ノタメ)
一、消毒薬品ノ無料配布(二日分)
一、標語入宣伝マッチノ実費配布
一、衛生講話ノ開催
一、健康増進ニ関スル綴方募集
寄生虫病予防に関しては栃木県下の各町村寄生虫卵保有率は平均五五・四九%、最高九二%最低二八%の状況であるが、川西では特別な実施計画はみられない。
伝染病対策は明治以来の努力に拘らず、患者の断続的続発がみられた。
川西警察署管内発生状況(川西警察署調) |
町村名 | 計 | ||||||||
腸チフス | パラチフス | ヂフテリア | 赤痢 | 腸チフス | パラチフス | ヂフテリア | 赤痢 | ||
川西町 | 五 | 四 | 三 | 四 | 八 | 一 | 二五 | ||
黒羽町 | 一二 | 一 | 一 | 一 | 一五 | ||||
湯津上町 | 一二 | 二〇 | 二 | 三 | 二 | 四 | 一 | 四四 | |
須賀川 | 二二 | 二二 | |||||||
両郷村 | 五 | 四 | 九 | ||||||
伊王町 | 一 | 二〇 | 一 | 二 | 二四 | ||||
計 | 三〇 | 二四 | 三〇 | 三 | 七 | 六 | 一六 | 二三 | 一三九 |
このような伝染病発生に対して、次のような防疫対策で臨んだ。
一腸チフス予防注射の実施
前年患者発生地 黒羽向町、桧木沢施行
一赤痢、疫痢、予防内服薬実費配布
希望者対象、小人一人分十二銭、大人其倍額
一隔離病舎の整備
川西隔離病舎瓦屋根及壁修繕(三十二円八十二銭)
一検病的戸口調査並保菌者検索
法定十種伝染病並麻疹、風疹、流行性感冒、流行性耳下腺炎、水痘、百日咳等患者若しくは容疑者早期発見の為め
検索すべき範囲
細菌検査材料(糞便)を採取すべき者
(イ)昭和九年(一九三四)一月以降赤痢(疫痢)腸「チフス」「パラチフス」に罹り全治後現住者
(ロ)前記(イ)号患者の家族雇人、同居人
(ハ)同(イ)号患者と井戸若しくは便所を共用したる家の家人、雇人、同居人
(ニ)患者発生前後、患家に出入し、若しくは患家より飲食物を購入其の他に依り飲食したることある者
(ホ)宿屋、料理屋、飲食店生魚・魚介商、豆腐商、牛乳搾取者並販売業、鮨商、煮饂飩商、〓粉細工行商「アイスクリーム」商其の他必要と認むる飲食物営業者及従業者
(ヘ)其の他必要と認むる者
一 検査期間 自五月十六日 至同月三十一日
一ヂフテリア予防注射の実施
児童に対する予防注射
一定期種痘 於常念寺
五月六日 接種 (川西校児童除)全部第一、二期共
五月十三日検診
同日 接種 川西校児童
十八日 検診 同右
一猖紅熱予防注射の奨励
県下 猖紅熱患者 数年来激増につき予防注射の実施
(昭和七年二十三名 昭和八年三十九名 昭和九年六十八名)
なお伝染病による損害額は次のように報告されている。
伝染病ニヨル損害額調査表 川西町 (昭和十年一月十五日調) |
病名 | 町村費 | 其他諸費 | 生産損害 | 計 | 患者一人当平均額 |
ジフテリア | 一八 | 二四 | 三〇 | 七二 | 一二 |
赤痢 | 三〇 | 五 | 一〇 | 四五 | 四五 |
腸チフス | 五〇〇 | 五〇 | 八〇 | 六三〇 | 一五七五〇 |
合計 | 五四八 | 七九 | 一二〇 | 七四七 | (六七九一) |
註1其他諸費欄ニハ衛生組合費ヲ計上
2生産損害ノ罹病者ノ疾病休業、家族等ノ看護、休業期間ヲ、各健康的生産数ニヨリ推算
ところで昭和十年(一九三五)から「ラジオ体操の会」が開催された。夏季休業の八月一日より廿日まで小学校教師を指導者として、午前六時より三十分間行なわれたが、主催が小学校だけでなく、役場、青年団も一緒だったためであろうか、一般人の参加がとくに目立つ。常念寺会場では一般人が約百人参加している。