かくて、開設された保健所は、青少年の体力検査、乳幼児の保健指導、母子保健等の疾病予防、結核の予防、急性伝染病の予防等について関係町村への強力なる指導が行われ、本町の保健業務も大いに進展をみることとなった。また町村には医師会、薬剤師会、衛生組合の他に新たに巡回指導員並びに母性補導委員も設けられ地域保健向上に協力する体制となった。
昭和十二年(一九三七)の中国北部芦溝橋における日中両軍の武力紛争は局部戦での解決に失敗し、遂に両国の全面戦争へと拡大をみた。そこで、戦力増強のためにも国民の体位の向上は緊急な要務となり、昭和十三年(一九三八)五月十七日より一週間「国民総動員健康週間」と定め全国一斉にこの運動が展開されることとなった。また皇后陛下より、昭和十四年(一九三九)四月二十八日、結核予防に関しての令旨がだされた。
「国民総動員健康週間」は昭和十四年の皇后陛下の令旨にもとずき、昭和十六年(一九四一)「健康増進運動」と改称し厚生省主唱の下に令旨の下賜された四月二十八日を第一日として十日間にわたり全国一斉に実施されることとなった。
川西町は次の如く計画実施した。
一、令旨奉読式○四月二十八日午前九時
出席者 毎戸一名トスルモ警防団ハ分団長以上分会ハ班長以上 理容組合員全員 衛生組合役員
二、健康祈願祭○五月一日午前八時高岩神社
参列者同右
三、結核予防運動○第一日第二日午前中
医者宅ニ於テ診察
○ツベルクリン注射 於川西町役場
五日午後三時、七日午後三時 対象者黒羽町民、川西町民
○講話会・映画会 五月六日午後六時於東毛座
四、母性乳幼児ノ体力向上運動
○産婆ハ区域ノ産婦巡回指導
○乳幼児体力検査(一ケ月―満二歳)
第一回(七月五日ヨリ十三日)
調査人員 四百四十名
受検者 四百十四名
欠席人員 二十六名
成績 良 百六十八名41%
普通二百二十三名54%
不良 二十三名5%
疾病 八十二名20%
第二回(十一月二十三日ヨリ二十九日)
調査人員 二百五十六名
受検者 二百三十一名
欠席人員 二十五名
成績 良 百四名
普通 九十九名
不良 二十二名
疾病 六名
五、家庭栄養講座開催
○三月十九日ヨリ二十一日
午前九時ヨリ午後三時 於川西併置校
参加者六十三名 皆勤者四十二名
六、伝染病対策 ○八月十四日向町地区ニ腸チブス発生
予防注射実施 一千二百九名
○定期種痘実施
七、清潔法 ○五月四日ヨリ十七日マデニ全町施行
八、近視トラホーム予防運動
○四月二十八日、四月二十九日、五月四日
医師宅ニテ検診無料
九、心身鍛練運動○八月一日ヨリ二十日
ラジオ体操ノ会
○十一月三日 体育大会 於川西国民学校
○十月体力検査ノ実施
十、医薬資源確保運動
○薬草採集計画
○薬草種子配布
以上のごとく戦時中は戦力増加の目的から国民の体力増強施策が強力に押し進められたが、戦局が激化するに従い、物資、食糧が不足し一般民衆は非衛生的生活をよぎなくされた。昭和十六年五月三十一日大田原保健所管内衛生事務研究会議事項録には次のような議案が出されている。
須賀川村長提出
一、乳幼児用砂糖配給の件
乳幼児砂糖配給ニ関シ適正ヲ期スル目的ヲ以テ部落会長ニ申出ヲナシ部落会長ノ承認ヲ経タル後配給券ノ交付ヲナシ居ルモ之カ円満ナル配給ヲナスコトヲ得サル情態ニ在ルモ各町村ノ取扱方ヲ問フ 各町村ニ於テ同様不足スル場合ニハ増配方ヲ其ノ筋ヘ本会ノ名ヲ以テ建議セラレンコトヲ望ム
西那須野町長提出
一、人工栄養用砂糖ハ冠婚葬祭用ト同一ノ由ナルモ右ハ種々弊害ヲ伴フ故別個ニ配給方建議ナスコト
一、出産用及一般用綿ノ急速ナル配給方ノ件
佐久山町長提出
一、保健ト食糧物資ノ不足ニ就テ
時局関係上食糧物資不足又ハ不円滑ナル配給ノタメ保健上至大ナル影響アルヲ考慮シ勉メテ円滑ナル配給アランコトヲ関係方面ニ連絡セラレ度シ
黒磯町長提出
一、産婦人科病院設置アル町村ニ対シ特ニ衛生綿購入券ヲ増配給相成ノ件ヲ保健所名ニ於テ請願ノ件
昭和十六年(一九四一)十二月八日太平洋戦争が勃発し、戦局は更に拡大されると健民運動は物資不足の中で皇国民族精神の昂揚が第一重点目標となり、精神主義が強調された。食糧に関しては昭和十七年(一九四二)五月国民食が推奨された。
国民食基準量 主食トシテ(成年期一日量)
主食トシテ(成年一日)
穀類 法定精米 四百グラム
麦雑穀類 百グラム
副食トシテ
肉類(生鮮魚介、獣鳥肉類) 百グラム
豆類 三十グラム
野菜類(漬物含ム)芋類 二百グラム
其ノ他三百五十グラム
海藻類 五グラム
調味料
味噌 五十グラム
醤油 二十五グラム
砂糖 十グラム
食塩 十グラム
このような国民食も戦局が激化し食糧事情が悪化するや摂取、不可能となった。とくに米軍が反撃に転じ、やがて制空権、制海権が奪取され、本土爆撃がなされる頃には、国民はほとんど飢餓の中に置かれ、その体位はますます悪化していった。