三 戦後の保健衛生

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 昭和二十年(一九四五)八月遂に戦争に破れた。戦争が終ってみると日本の経済、社会生活は窮乏のドン底にあえいでいた。その原因となったのは食糧難・物資難と悪性インフレの進行である。一日二合一勺(三百グラム)という最底水準の米の配給すらも満足に維持されず、豆かす、とうもろこし、さつまいも、じゃがいもなどが主食として配給され、しかも、それすら遅配、欠配という有様で、国民は飢餓線上におかれた。物資の不足も同様である。衣類、日常品、燃料とあらゆる物品が欠乏し、国民は飢えと寒さの中での最低生活をよぎなくされた。
 ところで大戦終了後、マッカサー司令部は戦時中の隣組は戦争協力団体であるとして解散を命じ、同様に昭和十七年(一九四二)十一月以降内政部の管轄下にあった各町村の衛生組合も戦争協力団体であるとみなされ、解散を命ぜられた。しかし衛生環境の浄化は地域住民にとっては必須のことである。ここにおいて各町村では、自主的に部落内に衛生班や衛生当番を設け、町や県の保健所を協力し、衛生業務に当ることとなった。
 昭和二十二年(一九四七)度大田原保健所管内の伝染病発生件数は三百八十名、うち死亡者二十名を数えている。その上、戦後都会の浮浪児を中心に発診チフスが発生、蔓延の徴候を示すなど、われわれをとりまく衛生環境はよくなかった。そのような中で衛生組合は戦後解散を命ぜられ、地区ごとの自主活動となったが、伝染病は地区内の対策では効果があがらないので、各町村では、全域を対象とした衛生組合の組織化が図られ、新しい規約のもとに再出発をした。両郷村では昭和二十二年度に衛生組合が両誕生した。
    両郷村衛生組合規約
     第一章 總則
第一條 本組合は両郷村衛生組合と称し本村一円を區域とし本村内に常住する世帯主を以て之れを組織する

 第二條 本組合に左の支部を設ける
  一、中野内支部   大字中野内一円
  一、河原支部    大字河原一円(五斗蒔組を除く)
  一、両郷支部    大字両郷一円(大字河原五斗蒔組を含む)
  一、寺宿支部    大字寺宿一円
  一、木佐美支部   大字木佐美一円
  一、大久保支部   大字大久保一円
  一、久野又支部   大字久野又一円
  一、大輪支部    大字大輪一円
  一、川田支部    大字川田一円
 第三條 本組合の事務所は両郷村役場内に置く
第四條 本組合は傳染病豫防救治其他衛生に関することを協同扶持し公衆衛生の發展向上を図り施設の改善を期するを以て目的とする

     第二章 事業
 第五條 本組合は前項の目的を達成するため左の事業を行ふ(う)
  一、清潔法施行に関すること
  二、消毒方法施行に関すること
  三、種痘法施行に関すること
  四、傳染病豫防救治に関すること
  五、鼠族昆虫駆除に関すること
  六、飲料水下水等改善に関すること
  七、衛生思想普及竝に宣傳に関すること
  八、其他公衆衛生の向上發展に必要と認めたること
  九、衛生功労者の表彰及組合員の行賞等に関すること
     第三章 役員及職員
 第六條 本組合に左の役員を置く
  一、組合長   一人
  一、副組合長  一人
  一、理事    四人
  一、評議員   九人
第七條 組合長及副組合長は評議員會に於て組合員中より之を選擧し理事は評議員中より互選し評議員は支部長を以て之れに充てる

 第八條 本組合に書記二名を置く
  書記は組合長之を任免する
 第九條 本組合に顧問を置くことができる
  顧問は評議員會の議決を經て之を推薦する
 第十條 役員の任期は二ケ年とし選擧の日より起算する
  補欠により就任したる役員の任期は前任者の残任期間とする
  役員は任期満了後と〓も後任者の選任まで在任するものとする
第十一條 組合長は組合を代表し之に屬する一切の事務を掌り及會議の議長となる

副組合長は組合長を補佐し組合長事故あるときは其の職務を代理する

  理事は組合長の旨をうけて事業の執行竝に庶務、會計を掌る
  評議員は評議員會を組織して會務を審議する
 昭和二十二年度両郷村衛生組合実施事業報告
一、伝染病救治(イ)赤痢患者発生十名、内死亡一名、全治九名
 (ロ)結核患者死亡四名
二、伝染病予防実施(1)腸チフス予防接種施行人員二千九百八十二人(該当者に対し八十三%)

 (2)「ヂフテリア」予防注射(未了)予定人員千六百人
三、性病予防血液検査、実施人員妊婦五十六名(成績陰性五十六名)
四、妊産婦乳幼児保護検診(十二月十二日実施)妊婦十五名乳児六十二名
五、百日咳予防接種実施五百十八名
六、春季清潔法実施五月十日~二十日、秋季清潔法実施十月二十日~二十八日
七、衛生思想普及講話会開催(九月十五日)栃木県衛生部長衛生技官、大田原保健所長外講師一名来講す

八、会議(1)理事評議会二回 衛生支部長会議二回
    (2)医師協議会一回 鼠族昆虫駆除班長会議一回
九、鼠族昆虫駆除業務(1)一斉駆鼠実施三回、餌の総数五万八百六十六個、食べた数一万三千五百十三個、斃鼠発見数千百五十匹

(2)清掃一斉施行二回七月二十一日~二十四日、一月十日~十二日 成績良二、稍良四、不良三

(3)月例鼠族昆虫駆除実施成績(イ)スプレイング消毒三万九百五十九平方米、(ロ)ダスティング二千九百二十八人、(ハ)水漕排水十一個、小溜排水千七百二十三平方米、溝掃除二万一千九百四十三平方米、(ニ)便所の防蠅千九十個、肥溜の防蠅五百二十二個、便所の構造改良百十二個、学校防蠅四十五個、料理店防蠅六件 (ホ)墓の周囲の水溜除去五百十箇所

十、一斉駆虱施行一回
十一、大田原保健所管内衛生組合連合会結成(十二月十六日)
 昭和二十三年(一九四八)度両郷村衛生業務実施計画表
四月 上旬鼠族昆虫駆除実施(道路清掃)。中旬より水田用水堰上げ期に入るを以て川水の台所用水として使用することを禁止する様督励する。下旬定期種痘接種。

五月 上旬、性病予防血液検査施行、春季清潔法施行。中旬、母子相談所開設乳幼児の栄養妊婦の保健指導をなす。下旬、衛生講話開催、夏の衛生に対する智識を普及す。

六月 梅雨期と農繁期に対する乳幼児の栄養、妊婦の保健に一層注意し、幼児の消化器病、妊娠の過労等特に保健婦の活動協力を得て保健の万全を期す。下旬、人工栄養児の検診を行ふ。

七月 上旬、前月仝様業務を行ふ。児童の水泳に注意、伝染病を防止する。中旬、母子相談所開設(部落別巡回)。下旬、腸チフス予防接種実施。

八月 前年伝染病発生地域の検病的戸口調査を行ふ。衛生支部委員婦人団役員等の活動を促し伝染病の早期発見に努む。保健婦の協力に依り川水使用禁止を徹底せしむ。

九月 上旬、前月に引続き検病的戸口調査を行ふ。中旬、母子相談所開設(部落別巡回)。乳児の離乳指導を行ふ。下旬、「ヂフテリア」予防接種実施(自一歳~至十歳)幼児全部。

十月 上旬、秋季清潔法実施(部落清掃日)。中旬・下旬、秋季農繁期に対する乳幼児、妊婦の保健指導に努む。

十一月 上旬、前月下旬より引続き乳幼児、妊婦の保健指導に努む。中下旬、百日咳予防接種実施、発疹「チフス」予防思想の普及、「リケッチャ」消毒。

十二月 上・中・下旬を通じ感冒、気管支加答児、肺炎等、呼吸器諸病に対する手当。発病防止指導に努める(保健婦の協力に依る)。

一月 前月に引続き冬の衛生に関する智識の普及を計る。凍傷の予防、手当等に関し指導を行ふ(保健婦の協力に依る)。

二月 旧正月中、婦人団、青年団の協力に依り衛生講習会を開催し、会期一週間及至十日間位。

三月 年度末諸整理、昭和二十四年度経費予算決定。鼠族昆虫駆除実施強調開始。本年度を通じ随時性病予防血液検査を施行す。

備考 一、各月を通じ「鼠族昆虫駆除」を実施し部落清掃日の実行と相俟って「鼠族昆虫駆除」の完璧を期す。(毎月部落別巡回検査を行ふ)。二、発疹「チフス」予防に関しては自十一月~至三月間特に「リケッチャ」消毒剤等に依り防除の徹底を期す。三、七、八月頃、衛生思想普及の映画会を開催せんとす。

 昭和二・三十年代の衛生組合活動の重点は、
 (一)結核予防
 (二)伝染病予防
 (三)環境浄化運動
 (四)妊産婦及び乳幼児の衛生
 等におかれた。
(一)結核予防 結核は不治の病といわれ、恐れられていたが、早期発見、早期治療によって十分に治療しうるため、大田原保健所は、患者の早期発見のためX線装置を設備し、患者の健康相談や指導に当った。また、昭和二十六年には新らしい結核予防法が制定され、ツベルクリン反応、BCG接種、間接撮影、直接撮影治療と一貫した対策が講ぜられるようになった。かくて昭和二十五年まで死因第一位を独占してきた結核はいまや早期発見とともに、ストレプトマイシン、ヒトラジド、リファンピシン等の抗結核薬の開発、それに国民の生活水準の向上とあいまって、死亡率を著しく滅少させてきた。
法定・指定伝染病患者数(黒羽町)
昭和年赤痢腸チフスパラチフスしょうこう熱ジフテリア日本脳炎急性灰白髄炎流行性脳髄炎食中毒
817421
925511344
136281439
221335122
311113
32112
38136126162
393211134
402114
440
460
5011
540
550
(町村合併前は合計)

(二)伝染病予防 法定伝染病でその発生の大部分を占めるのは赤痢である。終戦後一時下降状態だったが、やがて上昇。昭和二十七年(一九五二)には戦後最高(全国患者数一一一、七〇九)の発生をみた。大田原管内でも昭和二十四年から三十年代にかけて、高い発生率を示している。黒羽町では昭和三十八年(一九六三)百三十六名、翌三十九年は三十二名と大量の患者の発生をみたが、その後水道の普及衛生思想の向上等で急速に減少し、昭和四十年(一九六五)代以降は、ほとんどその発生が、見られなくなった。

赤痢、チフス、ジフテリア、しょうこう熱の罹患率推移
(大田原保健所管内)

(三)環境浄化運動 伝染病の媒体である、蚊やハエの完全駆除をめざし、それらの発生源を清掃根絶し、薬剤散布によって幼虫等の撲滅を図る。このため区、及び町から薬剤が交付され、散布することを実施。またねずみ駆除の薬剤も配布された。
(四)妊産婦及び乳幼児の衛生 昭和二十三年(一九四八)児童福祉法の制定によって母子保健の対策は推進された。保健所における妊産婦・乳幼児の保護指導・町村における妊産婦乳児検診の実施、母子相談所や講座の開設等着実に効果をあげ、全国における人口千対の幼児死亡率は昭和十年に約二十名であったが、昭和二十五年には九・三と減少昭和二十七年以降とくに著しく、昭和三十二年には三・六となった。
 国民の健康状態は戦後、医学・医術の進歩、抗生物質等の医薬品の開発および公衆衛生の発展等で著しい改善をみてきた。とりわけ結核対策、伝染病対策の推進は著しく、わが国の平均寿命の伸長に顕著なものがあった。
 しかしながらこれら改善をみたとはいえ、なお多くの問題が残されている。
 その一は、成人病の増発である。すなわち、脳血管疾患、悪性新生物、心疾患がわが国における死因の上位を独占し、家庭においても社会においても、その中核となっている働き盛りの人々の生命を短期間のうちに奪うという点で重大な脅威を与えている。
 その二は健康づくりの問題である。経済の高度成長以来国民の生活水準は向上し、食べ物は豊富になったが、生活様式の急激な変化に対応できず新らしい問題を提起している。例えば栄養・運動・休養の不調和、栄養に対する正しい認識の欠除、過食、欠食、偏食は、肥満や貧血、あるいはこれらに関係した各種慢性的疾患を増加させている。
 その三は老人保健医療対策である。わが国の人口構造は近年の出生率の低下と死亡率の低下により老齢化の傾向を示している。豊かで健康な老後の生活を送るためには、これまでの医療費保障のほかに、健康期には健康増進や疾病予防を、疾病期には医療を回復期にはリハビリテーションを、またねたきり老人については症状に応じて、在宅ケア・入院等と老人の健康状態等にあわせた一貫した老人の保健医療対策が要請される。
 その四は母子保護対策である。母子保護対策は昭和二十三年(一九四八)以来三才児健康検診の実施、同五十二年(一九七七)度からは一歳六ケ月児検診が進められ、乳児死亡率は年々低下し、世界的にみても最低国の一つとなった。しかし妊婦死亡率は欧米に比して二、三倍と高く、また先天異常児、未熟児の出生についてはまだ十分に改善されていない。
 その五は環境衛生対策である。日本の公衆衛生は従来主として伝染病予防等の対策とし環境浄化に当ってきたが、都市化の進展・生活様式の高度化・産業活動の拡大等により排出される廃棄物及一般家庭から排出される生活雑排水等の適正な処理処分など生活環境の保全が大きな問題となってきた。
 これらの問題について黒羽町は県の衛生部や大田原保健所の指導助言をうけ、あるいは町の保健委員会等と協議の上、住民の衛生・保健向上に努めている。