黒羽町体育協会規約(抄)
第一条 本会は黒羽町体育協会という。
第二条 本会は事務所を黒羽町教育委員会社会教育課内に置く。
(目的)
第三条 本会は黒羽住民の体育運動を振興し、体育向上とスポーツ精神を養うことを目的とする。
(組織)
第四条 本会は町体育協会に加盟する部をもって組織する。
(事業)
第五条 本会は目的を達成するため、次の事業を行なう。
1、住民の体育運動向上奨励のため各部の事業を援助する。
2、県体育協会、郡体育協会等の事業に協力する。
3、体育大会、講習会等、体育増進のため各事業を実施する。
4、その他、本会の目的を達成するために必要な事業
(部設置)
第十四条 本会に次の部を置く。
一、陸上部
二、野球部
三、庭球部
四、卓球部
五、排球部
六、相撲部
七、剣道部
八、柔道部
九、弓道部
十、スキー部
十一、サッカー部
十二、バスケット部
十三、ソフトボール部
十四、山の会部
十五、銃剣道部
十六、空手部
十七、バドミントン部
昭和五十六年度黒羽町体育協会役員名簿(抄)
顧問 蓮実武雄
〃 稲野正典
会長 (黒羽町長)後藤伊位
副会長 植竹達郎
〃 金沢一男
〃 (教育長)遠藤毅
監事 (収入役)金沢三雄
〃 小林勝
○黒羽町体育協会専門部会
(当初)
柔道部
剣道部
弓道部
排球部
卓球部
相撲部
陸上競技部
野球部
庭球部
(追加)
スキー部
サッカー部
レクリェーション部
ソフトボール部
山岳部
バドミントン部
銃剣道部
空手部
○黒羽町民対象の体育行事及び大会開始時期
行事名 開始時期 主催
町内一周駅伝大会 昭和三十九年十一月 体協、教委
町民新春マラソン大会 昭和四十七年一月十五日 体協、教委
(昭和四十八・四十九年中止)
町民体育祭 昭和四十八年十月二十一日、体協、公民館、連協、教委
各地区体育祭 昭和四十年 各地区公民館
町民ハイキング(春秋) 昭和四十七年十月一日 体協、教委
老人クラブスポーツ大会 昭和五十五年五月二十三日町・老人クラブ連協
その他
早起き野球大会 昭和四十八年五月 教委、野球連盟
学童少年野球大会 昭和四十五年七月 教委、野球連盟
学童ソフトボール大会 昭和四十五年七月 教委、ソフト協会
ソフトボールナイター大会 昭和五十三年九月 ソフト協会
植竹杯争奪市町村対抗テニス大会 昭和二十七年十月 体協テニスクラブ
町民卓球大会
町民テニス大会
町民相撲大会
町民体育祭
夜間照明のもとでソフトボール大会
○昭和五十五年度開催スポーツ教室
年回数 参加者
幼児スポーツ教室 十二回 七十名
剣道教室 十回 六十五名
陸上競技教室 五回 三十名
卓球教室 十回 五十名
スキー教室 二回 七十五名
バドミントン教室 八回 四十名
○昭和五十五年度体育指導員 定数二十名(現員十五名)
種別 名
一般 四名
(中学校体育主任)
陸上 五名
相撲 一名
弓道 一名
種別 名
剣道 一名
卓球 一名
ソフトボール 一名
山岳 一名
残り五名については各地域の体育部長(各地区二名程度)を充てる。
戦後スポーツは一般人を含めかなりの普及をみてきたが、老人層にはなかなか及ばなかった。それら老人を対象としたスポーツとして、社会教育課・社会福祉協議会が昭和五十四、五年より推奨したのがゲートボールである。これは軽い運動であり、体力を消耗せず、勝負にこだわらないで明るく楽しめる競技であるのでたちまちのうちに多くの老人達に喜ばれ、人気を集めている。ゲートボール場は現在(昭五五・九現)町内六ケ所に設置されている。