一 明治三十酉年の暴風

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 明治三十年(一八九七)八月十四日午前三時一陣ノ暴風起ル其ノ轟々タル音響ハ恰モ百雷ノ如ク風ハ強ク砂石ヲ交ヘ忽チ家屋拾数軒ヲ倒シ其惨状見ル可カラズ戸障子ハ凧ノ如ク空中高ク昇リ米俵屋外ニ飛散ス実ニ古今未曽有ノ惨珍事ナリ此ノ被害ハ大字中野内モツトモ甚シク他字ハ殆ンド平穏ナリシト当時ノ被害者左ノ如シ
  桜田 全潰 井上鉄之助・菊地留次郎・川上義春・大野留之助
     半潰 阿久津勇・井上多一郎
  中山 全潰 三森初太郎・三森留蔵
青木 全潰 小泉幸之助・岡野豊平・岡野忠五郎・岡野粂次郎・岡野忠助

     半潰 小泉満
  大塚 全潰 高林兼次郎
ノ諸氏ニシテ幸ヒ人畜ノ被害少ナカリシト。唯岡野粂次郎氏長男貞之助(十二歳)ヲ致死セルハ悲惨タルモノナリシ一言記シテ後人ニ告ス。
 小泉清著『両郷村郷土誌』原文のまま
 この時の風は、暴風と云うより竜巻であったという。桜田・飯岡・(中山)青木・大塚の順に真黒な煙が立ち竜巻の通った跡は全部家屋が倒潰したと古老より聞く。