二 松葉川の大洪水

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 昭和五年(一九三〇)七月二十六日午後二時頃より豪雨降り、二時間程にして約三メートルの出水となり両郷・河原・中野内・久野又の松葉川の沿線の水田は冠水し、道路まで五、六、一〇センチの水が流れ、久野又岩蟹(かんじゃ)辺は郷が狭いため水量が多く、道には豚は流れ、味噌桶、臼、荷車なども流れて来る程の大水であった。特に河原は地盤が低いため被害が最もひどく、家具は勿論味噌桶、薪等に至るまで流出し、米は水浸しとなり、焼くに薪なく食するに米なき状態となり、その惨状実に言語に絶するものがあった。
 両郷村損害見積約一〇万円(当時の米一俵価格六円二十八銭)その主なるもの、流失家屋十棟、半流出六棟、浸水三十五棟、河原町に於ては流出家屋二棟、床上浸水二十一戸であった。その他
欠潰道路 三ケ所 一、二八六間 復旧工費一八、三九三円
流出橋梁 三ケ所         復旧工費一、一七八円
護岸九ケ所 五七四間工費七、五六二円国庫補助
同 一一ケ所 四一八間工費三、四七四円県 補助
同 八八ケ所一、七三五間工費四、〇〇〇円村 補助
田畑穴潰埋没五町二反
浸水被害三十町歩
 参考文献『下野国河原村由緒記』