太平洋戦争酣の昭和二十年(一九四五)三月十七日午前十時十五分頃黒羽町始まって以来の大火が発生した。火元は寒井本郷五輪平某家の囲炉裏の不始末であった。住宅は十坪程の杉皮屋根であり、杉皮は火がついたまゝ相当遠くまで飛ぶということは定説であるが、この日は生憎風速十四メートルの強風のため、たちまち此処彼処(ここかしこ)に火がつき火の手は燃え広がりこの猛烈なほのおは最早や人力では消し止めることは出来なかった。数十メートル離れた家にまで飛火して消防手が火災現場にいて、自分の家が燃えるのを知らなかった程火の廻りが早かった。
この大火はようやく午後三時鎮火したが、住宅四十八戸をなめつくした。