○鎮国神社(通称ちん国社)

881 ~ 882
 鎮座地 黒羽町大字前田一〇七三(八幡館跡)
 祭神 正殿 天照大御神 応神天皇 反正天皇 仲哀天皇 神后皇后 宣化天皇
左殿 大己貴命(おおなむちのみこと) 豊城入彦命 顕国玉命(あきくにたまのみこと)
右殿 丹治比古(たぢひこ)王 左大臣志麻朝臣(しまあそん) 大関氏  二十七世霊碑
 祭日 十一月十三日
 沿革 社伝によると、久寿二年(一一五五)に須藤権守貞信、千葉之介常胤、三浦之介義明、上総介広常等が、勅を受けて那須野の九尾の狐を退治した時、弓矢の神八幡宮をこの地に勧請して祀った。これを狩野(かの)の八幡館(はちまんだて)と称した。その後建久四年(一一九三)四月、源頼朝、宇都宮朝綱、小山朝政、那須光資等本社を崇敬して再建した。
 応永元年(一三九四)三月、那須資氏もまた社殿を再建したが、後に福原城主那須太郎資之と、弟五郎資重が不和となり、遂に戦いとなった際、本社は兵火に罹って建物、宝物等悉く焼失した。
 天正四年(一五七六)大関高増が黒羽城を築くに当り、筑紫の宇佐八幡宮並びに山城の男山八幡宮の分霊を勧請して、八幡館跡に神社を建て、改めて北八幡宮と称した。
 文化十三年(一八一六)大関増業は、大関氏の旧姓丹治の出所を慕い、河内国丹南郡丹治比神社に詣で、丹治比古王、左大臣志麻朝臣の神霊および神木と清埴(きよはに)を請い受けて黒羽に帰り、同年十一月本社に祀った。従来の八幡、温泉の二神に配し大関氏世々の神霊をも合祀し、四座の神社と改めた。本殿、拝殿、神楽殿、舞楽殿、假屋等を建造し、鎮国神社の称号を官許された。神祇管領長上従三位卜部(うらべ)良長の揮毫の扁額、白河楽翁筆の額面を掲げ、神田三十五石を寄進して崇敬した。
 黒羽藩主親ら斎戒して、社殿に参向し祭典を行なってきたが、明治維新の時郷社とされ、明治十八年(一八八五)村社に列せられた。昭和二十年(一九四五)社格は消滅し、同二十六年以降は宗教法人として扱われている。
 建造物
  本殿(間口二間半 奥行二間)拝殿(間口三間 奥行二間)
  鳥居一、狛犬一対、灯籠三、
 境内 一、○六九坪
 勝海舟撰文の藩主増裕の碑、社掌小泉斐の碑、水戸の立原萬翠軒撰文の修建梁碑がある
 宮司 小泉忠治

鎮国神社