鎮座地 黒羽町大字北野上一七四四
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
祭日 十一月九日
沿革 社伝によると本社は大同二年(八〇七)の創建。近衛天皇の久寿二年(一一五五)、三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常等那須野の狐狩の時、本社に祈願してしばしば霊験があったので、社殿を造営した。後に那須氏代々の祈願所となった。
野上地区はもと伊王野氏の領地であった。伊王野次郎左衛門尉資長より、資勝、資宗、資信まで代々永銭(永楽通宝銭)八十文の地が寄進された。
資宗は大関清増と戦い、東郷(ひがしごう)の大半(前田、野上、両郷、須佐木地方)を奪われてしまった。以後本社は大関氏の崇敬するところとなり。永禄八年(一五六五)清増は社殿を修造し、永銭七十六文の地を寄進した。後に更に除地十三石が寄附された。毎年正月七日、黒羽藩主代々が参拝したが、文久三年(一八六三)藩政改革によって除地没収された。
建造物 本殿、幣殿、拝殿、木の鳥居、石の神橋
境内 三二六坪
宮司 津田頼三