○加茂神社(通称雷神様)

889 ~ 890
 鎮座地 黒羽町大字余瀬三三一 (白旗山)
 祭神 賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
 祭日 二月二十日、十一月二十三日(小祭)
 沿革 社伝によれば、醍醐天皇の延喜十三年(九一三)夏、当地方大旱魃であったので、駅長粟野行磨は山城国上加茂神社(五穀豊穣の神の雷神を祀る)に詣でて、懇に祈願し分霊を請い受けて帰り、粟野駅の西丘(現白旗城跡本城山の入口で、古雷神と称している場所)に勧請し雨乞をしたところ、たちまち降雨があったという。粟野駅の総鎮守神として駅民は尊敬した。後に現位置に社殿は移された。
 永承六年(一〇五一)、源頼義、義家が阿部頼時征討のため奥州下向の途次、当駅に来て本社に戦勝を祈願し、軍勢を率いて西の丘に登り、白旗を翻えして気勢を挙げた。(以後この丘を白旗山と称し、粟野駅の西側を白旗駅といい、東側に軍勢を寄せ集めたので寄勢宿と名づけたという)乱平らぎ帰途神徳に報いて神領二町歩を寄進した。(今にその田のある所を、字(あざ)八幡田と称している)
 治承四年(一一八〇)、源義経は兄頼朝の陣に赴く路次、当駅に宿陣し、その昔頼義父子がこの地で軍勢を揃えたことを聞き、白旗山に白旗を立てて兵を募った。那須資隆の十男十郎為隆、十一男余一郎宗隆兄弟が馳せ参じ、主従の契を結んだ。義経は臣下を率い本社に詣でて戦勝を祈願した。また白旗山の南端に塚を築き(今に伝えて義経塚という)、白旗観音を側に創立した。
 文治三年(一一八七)那須余一宗隆は、那須の総領であるを以て、本社に神領二十石を寄進した。その後永禄三年(一五六〇)大関高増が社領二十石を本社に寄進した。
 建造物
 本殿 流れ造木羽葺、間口二尺五寸 奥行二尺五寸
 拝殿 入母屋造トタン葺赤ボカシ塗、間口三間奥行二間三尺
 雨覆 間口一間 奥行一間三尺
 鳥居 一基 神明造、セメント材
 灯籠 二基、芦野石
 社標 一基、芦野石
 境内 三三六坪四・五勺
 宮司 小泉忠治
 白旗城跡のうち二の丸(北城)の東側に隣接した土地。