祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと) 天太玉命
祭日 四月九日・十日
宝物 木像一躯(立体一一面観世音丈四尺三寸大同元年坂上田村麻呂が奉安したと伝える)。書一軸(絹本象牙軸長五尺三寸巾一尺四寸、筆者三国華海堂正心延宝二年甲寅初春旧黒羽藩主大関信濃守の家臣益子氏が奉納
沿革 社伝によると、桓武天皇の御代に、坂上田村磨東征の時、武甕槌命を祀り戦勝を祈願したところ、速かに平定の効を奏したので、常陸、下野、奥州の三国に鹿島神祠を五十三社創建して神恩に報いようとした。各地に鎮座地を選定したが、当社もその中の一社として、清々(すがすが)しい土地という意味で、須賀川郷に建立された。
その後常陸の佐竹氏と那須氏が屡戦い、ついに兵火に罹り、社殿宝物等灰燼に帰し衰頽した。天正年中領主大関美作守高増崇敬して、社殿を再建し社領二十石余を寄進した。以後大関氏代々崇敬怠らなかった。
建造物
本殿 流れ造亜鉛板葺さび色塗、間口一間四尺 奥行一間五尺 三坪
幣殿 亜鉛板葺さび色塗、間口二間 奥行二間 四坪
拝殿 亜鉛板葺さび色塗、間口三間 奥行二間 六坪
神庫 亜鉛板葺さび色塗、間口三間 奥行三間 九坪
御旅所 組立式造、間口三間 奥行二間 六坪
鳥居 一基、木造(杉材)
灯籠 五基、石造
境内 六五四坪三合五勺
須賀川の中央に位置し、高台である。鹿島山を背にして、鹿島八景(加茂秋月、愛宕神祠、絶壁臨流、田作漁火、我妻雪霽、城迹過雁、八束挿秧、常磐飛蛍)が眺められる。
宮司 佐藤整
須賀川、鹿島神社