一 明王寺

901 ~ 902
 名称 高岩山密蔵院明王寺(たかいわさんみつぞういんみょうおうじ)
 宗派 真言宗智山派(本山は京都智積院)
 所在地 黒羽町大字黒羽向町一八五
 沿革 天文二年(一五三三)與乗法印が石井沢(川西小学校東側の地)に創建した。天正四年(一五七六)領主大関高増が黒羽城を築いて、余瀬の白旗城より移るに当って、石井沢の住民を黒羽向町に移住させた時、当寺を現在地に移転させ、寺領五十石を給したという。
 当寺は元、和光院の名称があったが、帰一寺が幕末の頃焼失したので、その末寺二十六寺を併合し、帰一寺の密蔵院を称するようになった。また以前は客待寺として矢板市沢の観音寺末寺であったが、現在は智積院に属している。かつては小本格寺として、余瀬の蓮徳寺、寒井の與楽寺、野間の満徳寺等数か寺を末寺としていたが、現在は北金丸の実相院、蓑沢の養福院を兼務している。
 当山に付属する高岩不動尊は、初め桧木沢二ッ滝の地にあったが、寛永年中に、藩主大関土佐守高増が、黒羽城より眺められる現在地に移転させた。因に寺伝によればこの波切不動尊像は仏師運慶の作と伝える。
 建造物 本堂、山門、庫裡、石蔵
 寺宝 曼陀羅二幅(胎蔵界、金剛界、この二幅は天長十八年京都より伝わる)、釈迦涅槃像二幅、八祖大師像八幅、小泉斐画「龍」屏風一、三十三観音像(額)
 本尊仏 不動明王(木造の立像)
 住職 近藤隆雄