名称 光明山称名院常念寺(こうみょうさんしょうみょういんじょうねんじ)
宗派 浄土宗 智恩院
所在地 黒羽町大字黒羽向町一〇〇
沿革 永禄八年(一五六五)四月、光蓮社良遍上人笈與大和尚の開基で、余瀬に建立した。『わがふるさと』(蓮実長著)には、「余瀬に常念寺の跡といっている所がないので不明だが、修験道の津田氏の寺は光明寺というから、当寺の山号から推して、津田氏宅地あたりにあったかと考えられる」と記されている。
第三世良安上人の代、寛永八年(一六三〇)五月、藩主大関土佐守高増の命により、黒羽向町の現位置に移転した。明暦二年(一六五六)火災により灰燼に帰したが、天保四年(一八三三)九月、黒羽向町の富豪高柳源左衛門源明起が、独力で造営した。源左衛門は翌五年七月二十二日、五十七歳で歿し、当寺の墓地に葬られた。因にこの高柳氏の祖先は、黒羽藩主大関右衛門佐安碩入道高増が、大田原氏から出て、大関増次(石井沢にて戦死)の後を嗣ぐ際に、高増(時に十五歳)の付人となって、大田原より黒羽に来た武士の中の高柳大蔵直清である。
建造物 本堂、山門、庫裡、念仏堂
本尊仏 阿弥陀如来(坐像)
なお念仏堂には薬師如来(立像)が安置されている。これは明治初年に向町堂川にあった日輪寺が廃寺になった際、常念寺に遷されたものである。
境内 本堂寄進者高柳源左衛門の墓、かなめ焼陶芸家岡村一鳳の墓、芭蕉句碑(野を横に馬ひきむけよほととぎす)等がある。
住職 福田達雄