名称 白旗山西教寺(しらはたさんさいきょうじ)
宗派 浄土真宗 本願寺派(西)
所在地 黒羽町大字余瀬四三五
沿革 明治二年(一八六九)、羽藤柳道が開山した。黒羽藩主大関増裕は藩財政確立のため、新地開発の政策をとり、加賀・越前・越後地方から開拓民を募集して、領内の特に黒羽地区、川西地区、金田地区近辺の荒蕪地を開墾させた。開拓民の殆どは真宗の信徒であったから、真宗の寺を設置する必要を感じていた。ところがこれを果さずして、増裕は慶応三年(一八六七)十二月急死した。次代増勤は増裕の遺志をつぎ、真宗の僧侶羽藤柳道を招いて、黒羽田町の西崖にある、当時無住であった長松院に居らせた。開拓地の多くは余瀬、蜂巣方面にあるので、この地区に寺院を設置するのが好都合ゆえ、さいわいにも余瀬に無住の蓮徳寺があったのに目をつけ、藩主の命をもって、蓮徳寺の境内、建物、墓地等の一切を羽藤柳道に与えた。名称を真宗の西教寺としたのである。その後明治四十三年三月、余瀬の大火の際寺院は焼失したので、再建して今日にいたる。
建造物 本堂、庫裡、倉庫(藩政時代、囲穀(かこいこく)としての郷庫であったもの)等がある。
本尊仏 阿弥陀如来(立像)、この仏像は大関弥平治政増の室シャム姫(徳川家康の妾腹の娘)の持仏像で、長松院にあったものを西教寺に遷した。県指定の重要文化財である。
境内 曽良の句碑「かさねとは八重撫子の名なるべし」、長谷川かな女筆が建っている。また山門入口右手に「白旗城跡」の由来を刻んだ石碑がある。
住職 上島由雄