三 新善光寺

908 ~ 908
 蓮池山新善光寺と称した。黒羽町大字余瀬字東余瀬道場坪にあった。その創建年代は不明であるが、寺跡より正安元年(一二九九)の銘ある板碑(現在余瀬津田氏墓地に置く)が出土したことや、本尊阿弥陀三尊仏の鋳造が建長六年(一二五四)であることをみれば、鎌倉時代の創建と推定される。
 当寺の本尊弥陀三尊仏(観音、勢至の左右の仏を加えて三尊と言う)の鋳物の像が、現に国立博物館にある。
 中尊の弥陀は、高さ一尺五寸七分、両脇の観音、勢至は各々一尺二寸あって、弥陀像の背面には、
善光寺如来 一光三尊 于時建長第甲刀(註、甲寅)正月廿日、下野国那須御庄内東与世(ひがしよせ)村、勸進上人西忍、生年廿七、奉安置之依夢相之告鋳摸之。

とある。又脇侍之背面には
  建長六 歳次甲刀 正月廿日鋳造西忍 生年廿七
と刻してある。
 天正四年(一五七六)、大関安碩高増が白旗城より黒羽城に移るに際し、大雄寺や帰一寺と前後して黒羽の地に移った。現黒羽小学校の校地は新善光寺の跡地である。当寺は明治維新の際廃寺となった。