当寺の本尊弥陀三尊仏(観音、勢至の左右の仏を加えて三尊と言う)の鋳物の像が、現に国立博物館にある。
中尊の弥陀は、高さ一尺五寸七分、両脇の観音、勢至は各々一尺二寸あって、弥陀像の背面には、
善光寺如来 一光三尊 于時建長第甲刀(註、甲寅)正月廿日、下野国那須御庄内東与世(ひがしよせ)村、勸進上人西忍、生年廿七、奉安置之依夢相之告鋳摸之。
とある。又脇侍之背面には
建長六 歳次甲刀 正月廿日鋳造西忍 生年廿七
と刻してある。
天正四年(一五七六)、大関安碩高増が白旗城より黒羽城に移るに際し、大雄寺や帰一寺と前後して黒羽の地に移った。現黒羽小学校の校地は新善光寺の跡地である。当寺は明治維新の際廃寺となった。