即成山蓮徳寺と称し、真言宗沢村観音寺の末寺であった。余瀬西教寺のある場所は、蓮徳寺の跡地である。余瀬郷の土豪余瀬五郎の冥福を祈るために建立された寺であって、墓地には五郎墓碑の五輪塔がある。
余瀬五郎の先は下野守佐竹冠者昌義から出た。代々那須氏に仕えた。正平十年(一三五五)三月十三日、福原城主那須備前守資藤に従って、足利尊氏の軍団に属し、京都東寺の合戦に奮戦し、遂に主君資藤と共に主従三十六騎討死したのである。(本誌の南北朝時代における那須氏の項に詳述した)そこで五郎の遺族が即成山蓮徳寺を創建した。
『創垂可継』の封域郷村誌中の村々除き地には、「余瀬村 一、米六俵七升 蓮徳寺」と記載されている。
明治二年廃寺となって、そのあとに真宗西教寺が創建されたのである。