同寺の創建年代は不明である。天台宗である。江戸の東叡山寛永寺の末寺といい、あるいは比叡山延暦寺の末寺ともいわれる。長泉寺開山和尚の像(木心乾漆の半身像で境内にある馬頭観音堂に安置されてあった)と思われるものから推せば、鎌倉時代の創建と考えられると『わがふるさと』に記してある。下野第十番の札所であった。その御詠歌、
千代八千代いく世経ぬらむ岩谷山
長き泉のたえぬ此の寺
長き泉のたえぬ此の寺
と歌われた長泉寺は廃絶(その年代は不明)したけれど、長き泉と詠まれた泉は、僅かではあるが、現在も岩谷観音堂に上る坂路の左側に湧出している。