八 長泉寺

911 ~ 911
 黒羽町大字堀之内字岩谷にあった。この岩谷について『創垂可継』の封域郷村誌には次のように記されてある。「同村(堀之内村)に岩屋山と云うあり。其の後に山あり要害と云う。久寿二年(一一五五)三浦介狐狩せし時此所に居館を構えし所と云う。今に堀の跡山中に存す。」(堀之内の地名の由来はこれによる)
 同寺の創建年代は不明である。天台宗である。江戸の東叡山寛永寺の末寺といい、あるいは比叡山延暦寺の末寺ともいわれる。長泉寺開山和尚の像(木心乾漆の半身像で境内にある馬頭観音堂に安置されてあった)と思われるものから推せば、鎌倉時代の創建と考えられると『わがふるさと』に記してある。下野第十番の札所であった。その御詠歌、
  千代八千代いく世経ぬらむ岩谷山
    長き泉のたえぬ此の寺

と歌われた長泉寺は廃絶(その年代は不明)したけれど、長き泉と詠まれた泉は、僅かではあるが、現在も岩谷観音堂に上る坂路の左側に湧出している。