四 薬師堂

912 ~ 913
 黒羽町大字北野上天神前にある。応永十六年(一四〇九)四月、大関右衛門督増信が創建した。本尊薬師如来像は、もと小山の祇園城主小山義政の持仏であった。
 小山義政と宇都宮基綱が雀宮の茂原で戦い基綱は討たれ、宇都宮勢は敗退した。これを聞いた関東管領足利氏満は、義政が基綱を討ったのは許せないとし、弘和元年(一三八三)六月十五日、上杉憲方、同朝宗、木戸法季らを将として、小山義政を祇園城に攻めて降伏させた。(義政は翌年四月、再度の攻撃を受けて自刃した)この戦いに大関増信は、那須氏の部将として出陣した。この時に増信が小山義政の持仏薬師如来像を持ち帰ったものであると伝えられる。
 薬師如来は極楽世界の教主で、一切衆生の病気、無明の宿病を治癒し、その寿命をのばす仏として信仰されている。日光・月光菩薩を脇侍とし、薬師三尊と称される。