黒羽町大字北野上字大塩にある。創立の年代は不明。伝えによれば、当村のある農家の夫婦が、田の代掻きをしていた。妻の背負った小児がひどく泣き出したところ、何処からともなく幼童が現われて、馬の鼻取りをしてくれた。作業が終ると、その幼童は地蔵堂で遊んで来るからと言って姿を消した。夫婦は不思議に思い、御堂に行って見ると、幼童の足跡が入口より須弥壇の上まで続いてた。それでさきほどの幼童は、地蔵の化身かと、百拝し崇敬した。鼻取り地蔵の名はこれに由来するという。昭和初期火災により御堂・本尊(行基の作と伝える。木像)は焼失し、現在は石造りの仏像を安置している。境内に子育地蔵もある。