12 木造阿弥陀如来立像

920 ~ 920
この仏像は、像高七八センチメートル、面長九センチメートルの寄木造り、全身金泥で法衣には唐草、亀甲、蓮華、麻の葉つなぎ、龍の宝珠、瑞雲、法輪寺の文様を蒔絵にしている。植付と思われる螺髪は小粒で薄く軽やかに翻る衣襞、優雅な両手首と両足先等工芸的手法が重視されており、相好の表現などからみて江戸初期の製作であろう。この仏像は、元浄土宗長松院の本尊であったが、大関政増は大阪冬、夏の陣に戦功があったので、家康の妾腹の娘で水野出雲守重仲の養女であるシャム姫を室として与えられた。
 姫は念持仏を持参して黒羽に下ったのち、西崖に浄土宗長松院を創建し持仏を本尊とした。文久年間藩主大関増裕は新地開発に力を注ぎ加賀越前地方から開拓者を招いた。移住者は浄土真宗の信者であったので、明治元年に至って郷里より同宗僧侶羽藤柳道を招き、無住の長松院に住ませた。開拓事業も進み移住者も余瀬、蜂巣、金丸等に安住できるようになったので、柳道和尚は余瀬無住寺の蓮徳寺に転住した。
 阿弥陀如来像を迎えて本尊とし、白旗山西教寺と改めた。姫は寛文二年十二月十四日卒去した。享年七十歳、長松院に埋葬したが後大雄寺に改葬した。

木造阿弥陀如来立像