20 宝暦年中政事改正考草按

922 ~ 922
本書は宝暦十二年(一七六二)大関増備による黒羽藩政改革の私案で、上紙とも四十三枚(縦二一・四センチメートル、横一四・一センチメートルの綴である。
 当時黒羽藩財政の窮迫が甚しかったことは、この改正考の中に「当家も近年借入れの金銀ばかり増し、家中の禄米切りつめにより困窮するものあり、民百姓も苦しみ御用を果しかねている」の意味のことを述べていることでもわかる。増備は部屋住ながら心痛し他家の倹約令や諸人の話を聞き、それにもとづいて倹約中心の三十三条からなる政事改正の草按を編述した。
 増備は宝暦十三年十月家督相続、明和元年八月卒去、享年三十三歳、在職わずかに一年にしてその実を行なうことが出来なかった。しかし後年大関増業深く本書を感激し表題のない本書を包み「増備公御筆、宝暦年中政事改正草按、我子孫不可有麁略、曽孫土佐守増業」としたため、増業は藩政改革の典拠とした。