27 木造観世音仏立像

924 ~ 924
この像は、像高一・四メートル、面長三〇センチメートル、肩幅三二センチメートル、鎌倉時代の作と伝えられるが作者は不明である。この観音像は、御堂地(みどうじ)観音とよばれるもので、黒羽藩主大関増業が編集した『創垂可継』の封域郷村誌によると久寿二年(一一五五)三浦介義明が勅命により、那須野に九尾の狐を退治したときこの地に止まり、退治後帰京するに際し、愛妾を残して立去った。妾は哀惜の心で御堂地に草庵を結び、この観世音を奉安し梅雪尼となったとある。現在堂の傍に十基ばかりの碑があり、中に「寛○○四年○○禅定尼」と刻んだものあり、この堂宇が尼僧の草庵であったことがわかる。
 この観音は、昔は巡礼の札所であった。参道の燈籠にその旨記載されてある。

木造観世音仏立像