37 石井沢増次墓地

926 ~ 926
第十三代大関弥五郎増次は、白旗城主であったが、大田原永存入道の恨みをかい急襲され逃れて、石井沢の地で自刃した。時に天文十一年(一五四二)十二月二十日、若冠二十五歳であった。増次を野中に葬り榎の大樹を植えて墓標とし、法名を超山道宗といったが、後年久遠院を追諡した。第十六代土佐守増業は四面の垣を営み、修理して石碑を建てた。