正覚山実相院光厳寺には第十四代美作守高増夫妻の墓がある。高増は帰依とくに厚く、京都から臨済宗妙心寺の大虫和尚を屈請して再中興として寺運を隆昌にした。
高増は、永禄十一年剃髪して入道安碩と号したが、天正六年冬致仕した。さらに天正十五年十一月寺宿に隠居して末庵と号し、大虫禅師を尊信し、常に問法参禅しつつ二十一年の余生を保ち、慶長三年十一月十四日卒去した。享年七十二歳、法名を栽岩道松といい、遺骸は禅師の墓地に埋葬した。後年弘境院殿と追諡した。
室は佐竹義元の女で、慶長十九年六月十九日病死し、法名は珠英宗玉、後年献宝院殿と追諡した。墓碑は高増墓玉垣の外にある。以来大関家は寺領百五十石を給して崇敬した。