この古墳は、那珂川左岸段丘に築造され、銭室塚の名称は、金銀財宝が埋められていた塚という伝承に由来するといわれている。墳形は載頭円錐形を呈し、帆立貝式古墳とみられ、二段築造である。墳丘は全長約二六メートル、後円部径約二四メートル、前方部幅約一二メートル、長さ約五メートルで墳丘はやや南に傾斜している。
内部構造は両袖玄門つきの本横穴式石室で、石室は主軸方向に開口している。石室の規模は全長九・三メートル、玄室長六・三メートル、奥壁幅一・四メートル、最大幅二メートル、玄門寄りで一・二メートルである。高さは奥壁で一・四五メートル、玄門寄りで〇・八五メートルで、羨道部長さ三メートルあり、奥壁は花崗岩の一枚石でドーム状、玄室の側壁は乱石積である。天井石は幅約一・二メートル、厚さ約〇・二メートルの扁平な花崗岩で五枚使われている。床面は河原石の礫床である。なお周囲の土の色等からみて、墳丘をめぐって周堀があったとみられる。
この古墳は石室、ならびに石室と墳丘との関係などから六世紀末ごろの築造と推定される。