この公園は黒羽城址の御本城(本丸)跡とその周辺に設けられたものである。
黒羽城は戦国乱世の天正四年(一五七六)美作守大関高増が築城し、その後上杉景勝の乱に備えて土塁・空濠・城門などの構築を加えた北那須最大の規模をもつ城郭である。
明治四年(一八七一)廃藩置県まで約三百年の歴史をもつ山城である。
城郭は八溝山地西縁の舌状丘陵端の一部に構築され、本丸・中丸、二の丸(北城)・三の丸に分けられた複郭で、居館形式のものである。東の松葉川と西の那珂川にはさまれた険しい崖の上に立地している。それぞれ土塁・空濠・水濠がめぐらされ、郭内の道はいわゆる七曲りで、跳ね橋と城門とに仕切られていた堅固な城であった。
現在もその跡がよく保存されていて、そのことが、この城址公園の性格を決定づけているものである。そしてそこがみどころである。『黒羽城鳥瞰図』(天保八年(一八三七)、小泉斐筆)『黒羽城郭図』(『創垂可継』文化十四年)『黒羽根御曲輪絵図』(黒羽家中屋敷絵図住居名)などの資料を手にして、城址公園とその周辺を散策することは最も意義があろう。城跡に当時の建物こそ現存していないが、中世城館跡がこのようにまとまった形で現存しているところは他に類例がないであろう。
本丸跡の芝生も美しい。こゝでゲートボール、キャッチボール、バレーボールなどの軽スポーツを楽しむことができる。またトリムも設備されている。
黒羽城址にあるトリム園(南の郭)
サクラの花見時は、露店も張られ、行楽の人で賑わう。自慢の喉(のど)を披露する人もみられる。サツキやアジサイ、アヤメ、カエデなども沢山植栽されている。クマ笹も多く見られる。
本丸跡、西の土塁上に立つと那須野ヶ原の田園風景が開け、那須・高原(たかはら)・日光連山が一望でき、北の方にはお城風につくられた山村開発センターを越して高館などが遠望できる。眼下には那珂川の清流がある。
城址公園のさくらと美しい見晴らし